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子供の頃の夢を叶えたあの人に会ってきた!Vol.11 ビーチバレー選手 西村晃一さん

小さい頃のなりたい夢を叶えたあの人もみんな昔は子供だった!「夢を叶えた人はどんな子供時代を過ごしていたの?」「ご両親はどんな育て方をしてたの?」そんな素朴な疑問を、大人気ブロガー「しげるちゃん」が直接本人に取材しちゃうこの企画。第11回目は、元バレーボール日本代表、現在はビーチバレーでオリンピックを目指す西村晃一さんの登場です。絶対にあきらめない不屈の精神で30年以上もの間、バレーボールを続けている西村さん。その不屈の精神のルーツをしげるちゃんが探ってくれました。

子どもの頃から、負けず嫌い。壁に穴が開くほど練習しました(笑)

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しげる:晃ちゃんとは、友達の紹介で何度か一緒に飲んだことがあるんだけど、そういえば、なんでバレーボールというスポーツをやろうと思ったの?
西村:僕は京都出身なんですけど、本当は京都で時代劇をやる予定だったんです。
しげる:え、どういうこと?
西村:父親が太秦の撮影所でずっと時代劇の仕事をしていた関係で、僕も将来はその方向にという話があって。でも僕はスポーツがしたくて、それを裏切ってバレーボールを始めたっていう…。それが小4の頃ですね。
しげる:でもスポーツやりたいなら、野球とかサッカーでもよかったわけじゃない? 
西村:僕もサッカーかバスケと思ったんですけど、その時の学校の部活がバレーボールしかなかったんですよ。だからとりあえずバレーボールやるか、っていう感じで。いざ入ってみたら先生がすごく厳しくて、思ったより本格的で。そこで僕が先生に、頑張ったら全国大会とかいけるの? って聞いたら、先生が、もちろん行けるって言うんで頑張って、5年生の時に初めて全国大会に出ました。そこからバレーにハマりましたね。
しげる:すごいね!! でも小学校の頃の部活って遊びの延長みたいなものじゃない? それが全国大会に出たいなんてなかなか思わなくない?
西村:僕、異常な負けず嫌いなんですよね。何かを始めたら絶対一番にならないとイヤだったんです。だからとにかく誰よりも練習はしてましたね。壁に穴が開くくらいパスしたり。
しげる:壁に穴って(笑) 

強豪校ではない高校を選んだのは、中学時代のメンバーと全国制覇したかったから

西村:中学で今度は全国大会で優勝したいって思って。その頃からバレーへの姿勢も変わりましたね。
しげる:中学はバレーボールが強いところにいったの?
西村:いや、そのまま近所の公立に行って、京都選抜に選ばれて、全国優勝したんですよ。周りはそれまで誰一人優勝できるとは思ってなかったです。ただ自分だけが勘違いして思い込んで、結果優勝しちゃったっていう(笑)
しげる:何かを突き詰めて頑張るには、もしかしてある程度の勘違いって必要なのかもね? 
西村:絶対的にそれだと思います。
しげる:とはいえ、周りのみんなもその勘違いと熱意に乗って来たってことだよね。キャプテンだったの?
西村:はい。でも特にキャプテンタイプでもなく、ひたすら自分が誰よりも練習するタイプでした。
しげる:それで全国大会優勝しちゃうなんて! さすがに高校はバレーが強いとこに行ったんでしょ?
西村:それがまた違うんですけど、花園高校っていうところに行ったんです。
しげる:ラグビーで有名なところだよね? そこをわざわざ選んで行ったっていうこと?
西村:はい。中学で優勝した時、ネットの高さは、当然中学生用のネットの高さだったんですけど、こんなに小さな子たちが優勝しても複雑だなと多方面で言われ、実際次の年からネットの高さが変わったんです。その時、もう一回一般のネットの高さで優勝しようって決めました。それで同じメンバー全員で花園高校に行ったんですよ。
しげる:バレーの強豪校じゃなくって、みんなで一緒にバレーが出来る学校を選んだって事だ? バレーの強豪校じゃなくて。
西村:はい。そうです。
しげる:じゃあ花園にみんなで行くって進路を決めた時は、プロになりたいからっていうよりは、同じメンバーみんなで全国優勝したいっていう、単純にその気持ちだけだったの?
西村:そうですね。その思いが一番でした。ただ中学生の時に、僕は将来全日本に入る、そして世界で戦うっていうのは、全国優勝した後の目標として決めてました。
しげる:てことは晃ちゃんは中学時代から将来を意識してたんだね。その頃、そういうことを親と話し合ったりした?
西村:しなかったですね。ただ自分がやりたいことを応援してくれる両親ではありましたけど。

高校、大学と奇跡のような全国優勝を経験!

しげる:花園高校ではどうだったの?
西村:バレー部の監督は元々新体操の先生。だから部員全員、バック転とかバック宙ができるようになったんですよ。厳しく指導はしてくださっていましたが、バレーボールの練習、技術は自分たちで習得していきました!
しげる:なんて言っていいのか(笑)
西村:この時も春高バレーで全国優勝するなんて誰も思ってなかったですね。そう言えば優勝の瞬間、一人バック転しました!(笑)
しげる:バレーボールは団体競技だから、全員がうまくないと難しいと思うけど、その奇跡が小中高3回もあるってすごくない?
西村:大学もまだ続きます。高校バレーで優勝したのにも関わらず、背が低いのでバレー推薦では行く大学がなかったんです。だから受験勉強して立命館大学に入ったんですがさすがに今度は優勝できるレベルではなく。初めて挫折というか、これはどう頑張っても勝てないって思いました。
しげる:そのときのメンバーがいなかったってこともある?
西村:そうですね。これは厳しいなと。
しげる:でも、きっと奇跡を起こしたんでしょ?(笑)
西村:奇跡は、2年生の時。1年生にちょっと生意気で身長も高くてすごいスパイクを打つ子が入ってきて、これはいけると思ったんですけど、その彼はパチンコばっかりしてて、負けるとご飯も食べれなくなる。なのでまずは一緒に、朝パチンコに並ぶことから始めました。次に僕がバイトして、お弁当を彼に買ってご飯を食べさせたり(笑)、実家の炊飯ジャーを黙って彼の家に持って行って、おかずだけ買えばいいようにご飯を炊かせたり。親は「家の炊飯ジャーなくなったけど知らんか〜?」って騒いでましたけど黙ってました(笑)とにかく勝つにはお前が必要だって言い続けました。それで、毎年開催されていた立命館と中央大学の定期戦が僕が4年の時に50周年だったので、ここに勝つことを目標にして頑張りました。その時の監督だった先生と僕はいつもバレーボールのことでケンカばかりだったんですけど、その50周年に「先生を勝たせます」って言ったんです。そしたら無茶苦茶怒られました!「何十年負け続けてて勝てるわけないだろ!」って。またそこで大ゲンカ。「必ず先生を勝たせますから」って。結果、奇跡的に50周年の試合で50年目にして初めて勝ったんです。で、先生が「もう死んでもいい!」って興奮しすぎて倒れちゃったんですよ。

最初の挫折は、「身長」だった

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しげる:晃ちゃん、学生時代のバレーボールはほぼ成功してるよね。挫折とかなかったの?
西村:そうですね。先輩に意地悪されたりとか練習できないとかそういうのはあったけど、挫折というほどではないかもしれないですね。その後大学では、西日本で優勝もしましたし。そうするとだいたい実業団からお誘いがあるんですよ。
しげる:うんうん。
西村:やっぱり僕はなかったんですよ。あと身長が5cmあったら…って。そこで初めての挫折ですね。
しげる:チームを優勝に導いたキーパーソンなのにね…。
西村:それで就職活動したんですけど、最後の最後に、良くケンカしてた先生になんとなかならないですか?ってお願いししたら、全国回って聞いてくれてそれでもダメで、2人ですごい泣いて、「わかりました。もう諦めます」って話したんですけど、最後の最後にお願いしに行ってくれたところが、NECだったんです。そこで枠をあけてもらうことができて、NEC関西のNECホームエレクトロニクスっていう関連会社に入れたんです。
しげる:持ってるね〜。
西村:実業団ではトップリーグのひとつ下のV2のチームでしたけど、ギリギリで滑り込めて。
しげる:そう考えると、晃ちゃんの最初の挫折っていうのは身長なのかな?
西村:もうずっとそれがつきまとってますね。身長という壁が。

「いつか奇跡が起こるんじゃないか」と思い続けながら、練習を重ねた実業団時代

西村:実業団に入ってからはひたすらボール拾いの日々。でも入れたことが嬉しくて、いつかレギュラーになるって頑張ってましたね。僕が入った年にチームがトップリーグにあがったんですけど、そしたら全然勝てなくて負け込んでる時に、監督が試合に出してくれたんです。そしたらいろんな偶然が重なって、なんと2m超えの選手が打ったアタックを僕がブロックで止めたんです。それでその試合に勝ってレギュラーになれたんですよ。その後チームが廃部になり、初めて他の実業団からオファーも来て、そこに東京のNECも入ってて。
しげる:すごーーい。NECのバレーは有名だよね。
西村:監督からは「NECなんてやめとけ、NEC行っても通用しないよ」って言われたけど、勝負したいと思って。
しげる:そういう風に言われると絶対行きそうだもんね(笑)
西村:そこで初めて東京に出てきたんです。
しげる:どうでした? 憧れのNECに入って。うまい人たちがいっぱいいるわけじゃない?
西村:ホントにテレビで見てたエリートの人たちばっかりで、またずっとボール拾いでしたね。ところがまたある日、NECが負け込んできて関西にいた時と同じ状況が起こったんですよ。ちょっと出て来いって言われて出たら、スパイクを打つチャンスが巡ってきて。その時のセッターは、僕が毎日ずーっと遅くまで残って練習してた仲間だから、僕にトスをあげてくれて、それを思い切り打ったら決まったんですよ。
しげる:え〜〜〜!!
西村:その試合をきっかけにボール拾いだったのが、レギュラーに…。
しげる:やっぱり持ってるね〜。とはいえ、毎日残って練習してたからこそっていうのはあったよね。
西村:そうですね。当時はそのセッターの先輩と毎日体育館に残って誰よりも早いトスを打つ練習してましたね。
しげる:自分が出られなかった時にくさるのって簡単だけど、やっぱりその時期をそうやって努力し続けて、とにかく続けることでこういう結果が生まれてくるのかな。それがバレーボールだけじゃなくてもそういう時期ってみんなそれぞれあったりすると思うんだけど、くさっちゃったらおしまいなんだよね。
西村:それはもうくさりそうになってるのを、毎日、いつか奇跡が起こるんじゃないかと思い続けるしかなかったんです。

やりたいことができるように環境を整えてくれていた両親

しげる:ご両親はどんな感じで見守ってくれてたの?
西村:母親はすごく厳しかったです。僕一人っ子なんですけど本当のお母さんじゃないのかと思ってたぐらい(笑)
しげる:晃ちゃんが悪ガキだったんじゃない? 
西村:何も悪いことしてないんですけど、礼儀とか人への感謝とかに対してうるさかったです。家に来た友達に「あんたごちそうさまも言えないんか!」って怒ったり。
しげる:友達来なくなっちゃうよね(笑)
西村:でも勝手に仲良くなってるんですよね。公園でヤンキーに注意して、仲良くなってご飯食べに来たり。
しげる:きっとそんなお母さんからの影響も受けてるんだろうね。やっぱり話を聞くとお母さんも社交的で面倒見がいいとこがあったりするから、晃ちゃんも人見知りしないよね。
西村:すごいしますよ。
しげる:うそー(笑)
西村:人によるのかな(笑) でも親もそうなんですよ、外行ったら何にも喋らない。
しげる:そのヤンキーに注意しちゃうお母さんが?
西村:はい。個人個人にはできるんですよ、僕もそうなんですけど。だから大学時代も一人一人を気持ちから掴んでいくことをしたんです。プレーだけでは絶対勝てないので、まず気持ちをひとつにすることから始めて。ただ、大勢の前で何か喋るとかみんなと仲良くするっていうのはあんまりできないです。自分がこうしたいと思ったことしかできなくて、協調性ゼロって小さい頃から言われてました。だから自分が自分の枠の中でまとめるのが好きなのかもしれないですね。
しげる:人にまとめられるのは苦手だけど、自分がまとめる立場になった時に力を発揮するんだ。お父さんは?
西村:時代劇をやってほしいという思いを知っていたから、ずっと反対されてたかと思ってたんですけど、父の死後、父のオフィスを片付けに行ったら、僕のポスター、雑誌、試合結果全部置いてあって、涙が止まらなくて片付けも出来ずにしばらく動けなかったです。実はずっと応援しててくれたっていうことがわかって。僕がバレーに専念できるように、両親とも俳優業のオファーがあってもシャットアウトしてくれたり。そっと応援してくれていたみたいです。
しげる:2人とも、晃ちゃんのやりたいことをそっと見守っててくれてたんだね。
西村:やりたいことができるように環境を整えてくれていたんだなって思います。親には本当に感謝しても仕切れないくらいです。

「小さければ高く飛べ」を胸に

しげる:すごく努力家の晃ちゃんだけど、座右の銘ってある?
西村:「小さければ高く跳べ」ですね。自分がバレー界においては小さいっていうことがあったから頑張れた気もするんですよね。小さいから負けるんじゃなくて飛べばいいだけっていう。
しげる:みんなよりも上を飛べばいいってことだよね。
西村:はい。そうやって頑張ればいけるっていうのをずっと言い続けてるというか、自分に言い聞かせてるのかなと思います。実は、NECの時に全日本に入ってリベロになったんですけど、その後リベロとして海外チームからオファーがあって、プロになろうとNECに退職届出したんです。イタリアに渡ってチームみんなとも握手して帰国して、契約日にドタキャンしてしまって。急に「なぜリベロをやるんだろう」って思って…。小さくても高く飛んでスパイク打って大きい選手に負けないって思いでやり続けてきたバレーボールなのに、なんでスパイクを打てないリベロに?って思ったら違和感を覚えて。それでビーチバレーに転向しました。それが28歳のときです。
しげる:今43歳だよね。43歳まで現役を続けてるモチベーションはどこからきてるの?
西村:結局、小さい頃からの思いがずっと変わらないんですよね。それが全日本になって、今度オリンピックというのが出てきて、世界で1番という夢になって。それがまだ叶ってない。
しげる:プロになるまでは叶ってきたんだよね。
西村:僕は描き続けたものしか現実にならないと思ってるんです。だからまだ世界でメダルを取るっていう夢を描ききれていない自分がいて、それには邪念が入っているからだと思うんです。チームを持って、会社を持って、社員がいていろんな責任を抱えてる。昔だったらバレーしか考えなかったのが、他のことも考えないといけない状況で、それを再び昔の自分に戻そうと努力しているところ。最後のチャンスが2020年の東京オリンピックだと思うんで、そこで勝負したいなと。
しげる:そうだよね、確かに思い描く夢がないと叶わないよね。
西村:昔みたいに、無理と思われても、それができると思ってそれだけを信じてやってきたから叶ったと思うんですよね。今は思いが分散されてる。もっと集中しないといけない、いろんなことを並行しながら勝てるなんて甘くはないですし。そうすると一回全部捨ててやらないといけないっていう思いがあって。

好きなことをいまだに続けられていることが、一番の幸せ

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西村:実は今までスポーツを続けてきて、正直もう無理かもっていうこともあったんですよ。例えば経済的なこととかでも。
しげる:そうだよね。なんの苦労もなく見えても、簡単なことなんてないよね。
西村:自分はバレーボールに出会って、それをやり続けてきて全く後悔もないし、好きなことが未だにできるっていうことが一番幸せだと思ってるんです。それを支えてくれてる仲間、スポンサーには今まで本当に感謝してます。小さい頃からの思いがずっと続いてるので、その分モチベーションを保ち続けるのは大変ですけどね。
しげる:もう苦しい思いはしたくないってやっぱり思っちゃうよね。
西村:その気持ちの苦しさの繰り返しですね。でもどんな思いをしても、勝った時にすべてが帳消しになるんです。そのためだけにやってるわけで。じゃあ勝って何が得られるの? 別に賞金が高いわけでもないのにって言われたら元も子もない。でもそれは自分の小さい頃からの思いで、自分はその思いで生かされてきてるんですよね。
しげる:だからこそ、2020年までは納得いくまで頑張りたいってことだよね。
西村:まさにそうなんです!! 納得いくまで勝負したいんです。
しげる:そんな晃ちゃんの思いをわかって、ご両親も見守ってくれてるんじゃないかな。
西村:きっとそうだと思います。僕はさっきも言った通りとにかく厳しく育てられたのに、結局親の思ったような職業にはつかなかったし、言うことも聞かなかったし、親からしたら辛かったと思うんですよね。
しげる:時代劇の役者さんになってほしかったんだもんねぇ。
西村:はい。父に関しては、亡くなる間際、「お父さんは叶えられなかったけど、こういちは必ず叶う。信じてる」って。ずっと黙って見守ってくれたことが僕にとっては一番の優しさで、だからこそ、親が僕を信じてくれてるんだなって実感できるんです。母は身体がかなり弱ってますけど、僕のバレーボール集大成を見届けたいと思ってくれてるはずです。
しげる:それがまた子供の原動力になるのかもしれないよね。親が信じて見ててくれてるっていう。ただ、黙ってるっていうのが大変そうだけどね(笑)

しげるのまとめ

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晃ちゃんとは、友人を介して知り合って
何度か食事をさせて頂いた事があります

子供の頃に父と、バドミントンやバレーボールをして遊んだ
思い出があるので、、最初から勝手に親近感(笑)

大人になってからもバレーボールの試合を
TVでワクワクしながら観ていました。。
【バレーボールからビーチバレーへの転向】
今回、対談をさせて貰って、とても伝わりましたし。
幼少時代から、今に至るまでの、こうちゃんが良く知れて
今まで以上に勝手に近くなった気がしてます(笑)

今まで、いろんな方と対談をさせて頂く中
アスリートの方々は得に『負けず嫌い』『芯が強い』方が
成功している人が多い気がするなぁ~

そんな、晃ちゃんは
丁寧で優しくて頼り甲斐がある人
何かちょいちょい相談したくなる
とってもLOVEな人です。

以前・・
お台場へ、ビーチバレーの試合を観に行った事が
あるのですが。。
目の前で観る試合は、とっても迫力があったし
日焼けしたカラダが眩しくて、くらくら
すっかりファンになってしまいました
これからの眩しい季節!
機会があれば、ビーチバレー観戦な休日
楽しそうじゃないですか?
ぜひ、ご家族で応援に行ってみて下さい


お仕事やボランティア。。と
とても忙しい方なので、なかなか会う機会はないけど
落ち着いて、翌日を気にせずに
がっつり飲みに行きたいなぁ~
と思ってます。
またその時は、たくさん話しを聞いて下さいね

今回の撮影場所「BEACH HOUSE FIVE」

今回撮影した場所は、東京の中心地・西麻布にオーストラリアの砂を運んで、西村選手自身が最高の環境でトレーニングするために作られた「BEACH HOUSE FIVE」。

ここでは、砂のトレーニングができるだけでなく、砂の上にキネシスというマシーンを設置し、おそらく世界中探してもこの環境は無いと言われているくらいの設備。
さらに1Fはビーチルームの隣にマシーンルームがあり、2Fは、会員専用カフェ。3Fは、トリートメントルームを3部屋完備。ルーフトップは、人工芝に敷かれ六本木ヒルズを見ながら、青空ヨガができるという最高の環境。

ここでは西村選手はもちろん、他のアスリートやモデル、タレント、一般の方も幅広く利用されています。

西村選手は、自分の中で最高のトレーニング&ボディケアができる環境を作りたかったとカリフォルニアをイメージしてデザイン、内装まで全てに拘ったそうです。是非一度皆さん体験してみてください。

BEACH HOUSE FIVE お問い合わせ
info@bodymente5.com
tel 03 6447 0094

Profile●西村晃一さん
1973年京都府生まれ。1998年バレーボール全日本のメンバーに選出され、世界選手権やワールドカップなど国際舞台で活躍。現在はビーチバレーの選手として活躍中。instagram
インタビュー/ しげる 撮影/安井宏充(Gran) ヘア&メイク/ムツミ 取材・文/前田聡美

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