世界のトップショコラティエが滋賀に!
少し時間が経ってしまいましたが……滋賀県守山市のW.boreloを訪ねたのは、バレンタインデーとホワイトデーのちょうど間の頃。とある記事でこのお店が「2015年から2018年まで連続してC.C.C.(サロン・デュ・ショコラ)の金賞を獲得。世界のトップショコラティエとしての地位を確立。」とあり、そのお店が東京や大阪ではなく、この地にあることにとても興味を持ちました。滋賀に住む友人に聞いてみると「大変な人気店で、特にギフトには最適」との答えが!日本のローカルチョコを訪ねる旅は、このお店からスタートしよう!と心に決めました。
ところが、JR守山駅に降り立ってみると、その先のアクセスが見つかりません。案内所で尋ねると「バスは1時間に2本」と言われてしまいます。それでは時間に間に合わない!そう思って歩き始めた私の背中に、案内所の女性は「とても歩ける距離ではありませんよ」と心配そうに声をかけてくれましたが、実のところ歩こうと思った理由は、時間のためだけではなく「この街を知りたい」と思ったからです。
整備された駅前のロータリーを抜けると、人通りは少ないものの長く続く商店街があり、住宅街の路地裏では子どもたちがバドミントンをしていました。そこを過ぎると交通量の多い道路に突き当り、さまざまなジャンルの有名チェーン店が並ぶその一角に、W.boreloがありました。駐車場には車がぎっしり!そしてお店の前には行列が……「午後は混みあうのでお早めに」と親切にご連絡をいただいていたのに徒歩のため遅れてしまい、すでに大混雑!とてもお話を伺える状況ではありませんでした。
県道沿いの南フランス!
到着が遅れたにも関わらず、快く案内してくださったのは、販売責任者である渡邊夕香里さん。シェフ渡邊雄二さんの奥さまです。南フランスの別荘を模したお店の一部であるテラス席は明るい日差しであふれ、喫煙やペット連れもOKとのこと。お客さまの多様性にも配慮した地元に愛されるお店ならではの気遣いです。ここからはケーキやチョコレートなどを買うため、またサロンで味わうための行列が続いているのが見えました。駐車場に並ぶ車のナンバープレートは県内のみならず京都、神戸、岐阜、大阪などなど……遠方からのお客さまも多いようです。
そういえば、この写真を店内で撮影させていただいた時にも「お持ち帰りのお時間は?」のスタッフの問いかけに対して「1時間半です」「2時間です」などの声が続々……改めて、このお店の人気ぶりとポテンシャルを見せつけられた瞬間でした。
W.boreloとは? その由来と歴史
ようやくお仕事が落ち着いたシェフ渡邊雄二さんにお話を伺うことができました。
ーーまずお店の名前「W.borelo(ドゥブルベボレロ)」のWは渡邊さんのイニシャルですね?ボレロについては、どんな由来がありますか?そしてご実家が洋菓子店とのことですが、そちらではなく敢えてこの守山でお店を構えていらっしゃることには何か理由があるのでしょうか?
W.boreloシェフ渡邊雄二さん(以下 渡邊さん):ボレロはバレエ指導者として活動していた妻が好きな楽曲が由来です。実家は伊勢にある洋菓子店ですが、日本は国土は狭いものの街によって独特の文化もあり、求められるお菓子が全く違います。4年間の修業後に実家に戻り、工場長としての活動を始めてはみましたが、伊勢の伝統的な文化の中に暮らす人々の求めるものと自分の目指すものとでは、一致する部分が少ないと感じました。その頃から、自分なりに鎌倉で修業をしたときに得た技術やセンス、そしてフランスへ行ったことで影響を受けたり学んだことを作品に込めたい、という思いを強く持っていたんです。結果、実家の銘菓を継承するより、本物の西洋菓子を楽しんもらいたいという思いの方が上回ったので、妻の出身地であるここ滋賀県守山市で新たに店を構えることにしました。現在は大阪店やオンラインショップでも営業をしています。
バンドマンからパティシエの道へ……
ーーご実家が洋菓子屋さんということは、小さいときからお手伝いをしていらして、その流れでパティシエになられたのでしょうか?
渡邊さん:実家にいた中高生の時には厨房で手伝いをする程度ではあるものの、洋菓子を作る工程はひと通り理解をしていました。
大学生になって住まいを京都に移してからは、帰省のたびに割と本格的なことをやっていたんです。ところが当時はキーボーディストとして音楽に没頭していたこともあり、進路を決めるのにはかなり悩みました。
結局、実家と古くから付き合いのあった鎌倉の名店「レ・ザンジュ」にて修業に入ることに決めました。当時は今で言うパワハラは当たり前で、厳しい言葉で叱責されることも多く、脱落する人も多くいました。でも、自分は「このために音楽を諦めた」という意地もあり、難易度の高い作業をミスなくこなせるように努力を重ねました。
そのことが認められ、いつしか師匠(「レ・ザンジュ」グランシェフ三輪壽人男氏)に側近としてのポジションをいただくことができたんです。師匠のそばで味覚を鍛えられ、技術や思いを学び、感じることができたことが今の自分の仕事の基本になっています。
ーーご自身が修業経験をお持ちなので、やはりお弟子さんたちの指導には心掛けておられることがたくさんあるのではないですか?
渡邊さん:弟子は13名います。新しく4月から4名が入社しますが(※取材時2021年2月当時)私のところでは社員=弟子と考えて指導しています。特に心掛けている点は、味覚を鍛えて「美味しくするにはどうすれば良いか?を考えられる人になること」「フォー・ザ・自分の前に、フォー・ザ・チームが大前提」「ハラスメント厳禁。思いやりを」「焦りは禁物」ということでしょうか。
遠回りをしても物事の本質を追求し、流行を意識するだけではなく、西洋菓子を学んで欲しいです。自分の修業当時のことを思い出すと、キツく指導された先輩ほどずっと気にかけてくださって、今もお付き合いが続いているほどです。当時から力を認めてくださっていたのだと、今ではとても感謝しています。心ある厳格な指導はハラスメントとは別物ですね。
ーー大所帯になると、ご苦労もあるのではないですか?
渡邊さん:自分自身が修業時代に不安や疑問を持ちながらの日々を送っていたので、若手の育成には特に気を配ります。特に大切な技術を伝える場面では「シェフが直接指導する」スタイルをとっています。
先輩パティシエに教わるのではなく、直接私が教えることで、若手パティシエに「技術だけでなく手間を惜しまず変わらぬ味を届けることに心を砕いている」という「思い」が伝われば……と思っています。
そして、弟子を預かっている以上は、師匠としての自分自身のブラッシュアップも大切です。1年に1度は必ずフランスに出向いてトレンドや最新の技術について勉強をします。お菓子のことだけでなく、店で流すためにフレンチポップスのCDを探したりすることも良い気分転換になります。
日本のチョコレート文化を変えたい!
ーーご実家の洋菓子店からバンドマンを経て修業に励み、一度は故郷伊勢に戻られた後、守山でのお店のオープンということで、ここまでの道のりのお話に聞き入ってしまいましたが……チョコレートについて(やっと!)お伺いします。
先ほどご実家の伝統的銘菓のお話が出ましたが、外国では冠婚葬祭やクリスマスなどにチョコレートがギフトとして使われますね。ところが、今のところ日本では和菓子や地域の銘菓がその役割を担っています。日本でもチョコレートがもっとギフトに多く使われないかな……と考えて、数々のショコラティエを訪ね歩いているのですが、日本のチョコレートやその文化についてシェフのお考えはどうでしょうか?
渡邊さん:日本のチョコレートのレベルは上がりましたが、総じて価格が高いように思います。
日本でもフランス同様に「お昼休みにいくつか買って、仕事中にオフィスでつまむ」「買い物帰りにお気に入りのお店に寄り、袋にガサッと手の込んだチョコレートを沢山買って、くつろぎの時間に楽しむ」など、日常の中に厳選された材料で作られた上質のチョコレートをもっと手軽に楽しめる文化になれば……と思っています。なのでウチの店ではできるだけ価格を抑えようと努力しています。
ーーW.boreloさんのチョコレートはシングルオリジンのカカオにこだわったものや、醤油やゆずや七味など日本的なものとのコンビネーション、さまざまなお茶やリキュールとの取り合わせなどが特徴と感じます。ご自身ではその個性をどのようにとらえておられますか?
渡邊さん:風味の強いカカオを選びながらも、それとマリアージュのよい副素材を選び、副素材の風味もしっかり特徴が出るような味の凝縮のさせ方を工夫しています。またヴィジュアル的には、ガナッシュをピアノ線で四角く切っていくフランス式の工程を選んでいます。ベルギーのように型に流し込む方法ではありません。
今後もあまり多くの場所に出店をするプランは考えていませんが、C.C.C.(サロン・デュ・ショコラ)には毎年参加できればと思っています。目と舌の肥えた人たちを前に毎年新しいコンセプトのチョコレートを作り続けることは、苦労もある半面、新しいことに挑戦できる楽しみでもあります。
地方都市で県境を越えた人気を誇る名店のポリシーと技術の確かさに、生まれ育った故郷を離れ、修業中に培った腕を振るうためにこの地を選んだシェフの覚悟を強く感じました。世界が誇るC.C.C.(サロン・デュ・ショコラ)が見出した超一流のチョコレートが湖のほとりであなたを待っています。ぜひドライブのついで、ではなく!旅の目的地にW.boreloを選んで訪れてください。きっとその空間が醸し出すフランスの香りと、味わい深いチョコレートに心が動かされ、くつろぎの時間を味わえるでしょう。
お話を伺ったのは……渡邊 雄二さん
1965年4月生まれ。1989年鎌倉市「レザンジュ」入社、三輪寿人男に師事。1993年三重県の実家の洋菓子店に戻り、工場長に就任。2004年滋賀県守山市に「ドゥブルベ・ボレロ」をオープン。