勉強をすることは、子どもの課題
わが家では「勉強しなさい」とは、ほとんど言ったことがありません。 覚えている限りでも、「宿題したら?」と適当に声をかけたこともあったかもしれないなぁ、くらいです。 その代わり、子どもが小学校低学年のころはよく「一緒に勉強しようよ」と声をかけていました。これについては、後ほどまた詳しくお話します。
なぜ「勉強しなさい」と言わないかと言えば、それは「勉強するかどうかは、子ども自身の問題」だと思っているからです。
宿題を忘れて、先生に叱られたり、気まずい思いをしたり、わからないことが増えて困るのは、子ども本人です。 念のため言っておきますが「だから親には関係ない」とか「勝手に困ればいい」ということではありません。それだとただの「放置」になってしまいます。
ですが、子どもが宿題を忘れたことを「親がちゃんと見なかったからだ」とか 点数が低いのを「親が宿題を見る時間を作らなかったからだ」と、あたかも「親自身の課題」だと捉えてしまう人もいます。
僕はそれがとても危険な思考だと思うのです。
親ができることはたくさんありますが、やってはいけないのは「子どもの問題を親の問題にすり替えてしまうこと」です。
その上で以下のことを行っていました。
一緒に勉強する
自分で勉強するという習慣がまだない低学年の頃は、よく「一緒にやろう」と声をかけていました。 ですが、これは「一緒に宿題をやる」ということではありませんでした。
一緒に書斎へ言って、それぞれの机に座って、それぞれが勉強や仕事をする時間を過ごしました。 子どもは宿題。僕は仕事や読書、資格の勉強などをする時間。
こうした時間を30分〜1時間黙々と過ごします。 わからないことがあれば、子どもは僕に聞いてきます。途中で集中力が切れて、どこかに行ってしまうこともありますが、僕はそのまま仕事を続けました。 そのうち、気分転換を終えて勝手に戻ってきて、勝手に続きを始めます。
ガミガミと「席を立たない!」とか「やり始めたらな最後までやりなさい」なんて声がけは絶対にしませんでした。
その理由は「自分ができるタイミングを自分で見つける練習」はとても大事だと思っていたからです。
やる気になる時間を見つける
大人だって24時間いつでもがんばれるわけではありません。 集中できる時間帯や体調、タイミングがそれぞれにあります。そして、それを自分である程度把握していることは、社会人になってからも役立つ大切な技術です。
うちの子に関して言えば、学校が終わってから宿題をやるのはどうしても辛い、というのが自分でだんだん分かってきました。 低学年から中学年へとフェーズが変わったことで、学校の行事(とくにうちの子が通っている学校は授業がかなりアクティブで大変)も増え、帰って来るともうヘトヘト。ご飯を食べたら寝るまで、ダラダラしたり、動画を見たり好きな絵を描いたりして過ごしたい。
「だったら、朝起きてやったら?」 と言ってみると、それが自分のリズムにあっていたようで、それ以来疲れて宿題ができなかったときは朝起きて静かな部屋でひとりで終わらせています。
みんなが朝型がいいって話ではなくて、自分で自分ががんばれるタイミングを見つけることが大切だと思うのです。 親としては、子どもが自分で考えたアイディアに「そんなの無理だよ」「夜やっちゃったほうがいいよ」と決めつけるのではなく、一旦やらせてみたらいい。
何度もチャレンジして、それでもやっぱり朝型は無理で、他の時間がよかったりすることもあるでしょう。そんなときに「ほら、だから言ったじゃん」なんて野暮なことは言わない。
自分で失敗して、考えて、そして見つけた答えだからこそ価値があるんです。
見守るとは
見守るとは、放置することではありません。 子どものことをよく観察して、その子が試行錯誤しているのを応援したり、サポートしてあげることだと思うのです。
この話が、少しでも参考になれば幸いです。



