昨年末、ママ友2人に誘われた。
「スペインへ行かない? 子どもが大学生になってる5年後くらいに」
子ども同士は小学校時代から仲良しではあったものの、親同士が親しくなったのは中学に上がってから。一緒に部活の世話役になったことがきっかけだ。
子どもたちが大学に上がって落ち着いた頃に旅行しようね、というのがわたしたちの約束になった。コロナ禍で「スペインへ」は保留になっているけれど「台湾や韓国だったら、スペインよりは行きやすいんじゃない?」なんて相談をめげずにしている。こうしてママ友と海外旅行の約束をする日が来るなんて、17年前のわたしが聞いたらびっくりすることだろう。
子どもが生まれた17年前、当時わたしが勤めていた出版社の雑誌編集部には、子持ちといえば男性が一人のみ。そのほかは、既婚者こそいたものの、所帯じみた雰囲気や、ましてや子どもの話題が出る気配などまったくない職場だった。隣の女性誌編集部の先輩には
「子どもが生まれたらわたしたちと同じようには働けないでしょ? それなのに待遇は変わらないっておかしいよね」
と面と向かって言われるような環境で肩身の狭い思いをしながら子持ちになったわたしにとって、育休をとり地元のコミュニティで子育てする生活は想像もつかなかった。子どもを持たず深夜まで働く女性の中にいたものからすると、子どもを持って早寝早起きで健全に暮らす女性の世界はまったくの異次元。そこに足を踏み入れることは、恐ろしいことにすら感じられた。
初めてママ友ができたのは、娘が1歳になる直前
「音羽事件」と呼ばれるママ友による幼女殺害事件が東京都文京区で起きたのは、それより4年前のこと。出産した頃は「公園デビュー」なんて言葉がマスコミで話題になり、子どもを媒介とする大人同士のコミュニケーションの難しさがことさらに取り沙汰されていた。子どもを持たない同僚からは「公園デビューって怖いんでしょ?」と必ず聞かれたものだ。
「公園、もう行った?」
「行った行った。まだバギーで様子見してるだけだけどね」
と偶然にも4ヶ月違いで出産したわたしの妹とも、たびたび報告しあった。実態の見えないママ友とのつきあいを、わたしはとにかく恐れていたのだ。
初めてのママ友ができたのは娘が1歳になる直前に入った保育園でのこと。地元コミュニティのママたちは、産後数ヶ月から児童館の子育てサークルなどで知り合って、交流をとっくに始めていたということを後で知った。結婚して住んだ地域では知り合いもほとんどおらず、地元の病院の名前すら知らないまま子育てを始めたものだから、ママ付き合いにはずいぶんと出遅れてしまっていたらしい。それでも保育園に入ると、気の合う人も見つかり、家族ぐるみで集まれるようにもなった。
「ママ友って面白いかも!」と思えたのは、子持ちになって6年目
「ママ友って面白いかも!」と目からウロコが落ちたのは、下の子が3歳児で転入した園で出会ったママ友にディズニーランドに誘われたときだ。子持ちになってから6年が経っていた。
当時のわたしにとって、知り合ったばかりのママ友と子連れでディズニーランドに一緒に行くのはかなり緊張することだった。ごはんを食べるタイミング、ポップコーンを買うのか、お土産はどうするのか……などなど、子育てへの考え方やお金の使い方などすべての価値観がだだ漏れになってしまうではないか。もしも一緒に行った人たちと考え方が違ったら……。相手の様子を見ながらうまく振る舞うことができるだろうか。自分のことなら人と違っても平気だが、子どものこととなると、まわりに馴染めず浮いてしまうことがただただ怖かった。
誘ってくれたママは当時40代半ば、わたしは30代後半、もうひとりは20代半ば。そんな幅広い世代の3人組でそれぞれの子どもを連れて行ったディズニーランドは、思いのほか楽しかった。考えてみれば40代と30代、20代が揃ってごはんを食べたりしゃべったりするのは、会社でもよくある状況だ。会社では仕事のことや同僚のことなどの共通の話題で、20歳差だって仲良くしていたものだ。相手がママ友といえども同じことだった。共通の話題が仕事から子どもに変わっただけだ。
それまで、ママづきあいは子どものために避けられないもの、とどこか身構え義務感すら感じていた。それがディズニーランドで長い1日を一緒に楽しく過ごし、いつもよりもたくさん話をし、この人たちはわたしの友だちでもあるんだ、と実感することができたのだ。自分が「○○くんのママ」という鎧を捨てられたことで、相手にも「△△くんのママ」という以上の顔が見えてきた。
フラットに仲良くできるママ友の世界
飛び込んでみると面白いことに、ママ友の世界は年齢がたとえ20歳違おうと、子どもという共通項さえあればタメ口で仲間になれる場所だった。中高生時代に始まり、職場でもずっと当たり前だと思わされていた年齢や立場による上下関係は、いっぺんにリセットされるのだ。いろんな世代の女性がフラットに仲良くできるママ友の世界は恐れていたものとは全く違い、存外に居心地がよかった。むしろ上下関係の存在しない子どもの頃に戻ったような気さえしてくる。
ママ同士では「◯◯ちゃんママ」とは呼ばずに「しょうこさん」と名前で呼び合うということも当事者になって知った事情だ。ちゃんづけで呼ばれることすらある。初めは「そんなに若ぶらなくても……」と驚いたのだけれど、おばちゃんになってもおばあちゃんになっても、幼馴染は「しょうちゃん」「まりちゃん」と呼び合うのと、よく考えたら同じだ。「○○ちゃんママ」ではなく、一個人としてママ友ともつきあいたい、という意思から確立されたママ友マナーなのだろう。
好きな人は、より大事にしたい
次の大きな転機は上の子が小6の年、クジで小学校PTAの役員になってしまった時に来た。それまでのママ友関係は、気の合う人とは仲良くしていたものの、それ以外とはあくまでも子どもを挟み節度を保った関係のはずだった。それがPTAの役員仕事で関わったとたん、生身の人間同士のむきだしの関係に変わった。
考えの合わない人に「あなたのその考え方、直したほうがいいわよ!」と真正面から怒鳴られるような行き違いも起き、しばらく小学校に行くことさえ怖くなった時期もあった。残念だけれど、気の合わない人はどこにでもいる。表面的なつきあいでは取り繕うことのできた違和感が、PTAで深くつきあったら隠しきれなくなっただけのことだ。
ある会合に「お菓子も用意したら…‥」と提案したときには「前例がない。なぜわざわざ面倒を増やすのか。あなたは非常識だ」と強く非難された。自分がおかしいのかなと悩むわたしを見て、かわいい雪だるまのアイシング飾りをつけた驚異的ハイクオリティのカップケーキを自腹で手作りしてまでサポートしてくれた人がいた(その彼女は、いまでは仕事も一緒にする仲間になっている)。自分に反省すべき点はあれど、自分ばかりが悪いわけではない。反対する人もいれば、賛成してくれる人もいる。「わたしは味方だよ」と全力で伝えてくれた彼女には本当に救われたし、好きな人はより大事にしたいと強く思うようになった。
子どもが成長して心底仲良くなるようになった
心を開いて知り合うと、わたしが劣等感を抱いてしまうほどきちんとしているように見えるママ友も、忙しい育児の合間を縫って海外ドラマを見たり、ライブハウスで歌ったり、手芸でビジネスを始めたり、おしゃれをしたり、本を読んだり、絵を描いたりする、わたしがママになる前に知っていた友人たちと何ら変わりのない人たちだった。学び、遊び、働き、結婚し、そして子どもを生んだ。ママになったことは、その人自身の何を変えたわけでもなく、ひとりの女性の人生におけるひとつの出来事でしかなかったのだ。
「子どもが小さいときには、わたしもおとなしくしてたよ」
「いい親でいなくちゃと思い込んで、縮こまっちゃってたかも」
最近になって、ママ友たちが口々に言う。子どもが傷つかないように、嫌な思いをしないようにと、警戒心を高め、守りに入っていたのはみんな同じなんだ。その警戒を解いて心底仲良くなれるようになったのは、子どもたちがそこそこ成長したこともあるだろう。本当はもっと子どもが小さいときから自由になれていたらよかったのにな。でもまあいい、ここからはもうこっちのものだ。
あと少し経てば、また大人だけの時間になる。子育てに一段落ついたママ友と、子どもの小さい頃の思い出を語りながら、そして子どもの未来を想像しながら、異国の地で食事し街を眺めるのを心待ちにしている。ちなみに5年後の海外旅行は「いつか行こうね」の約束ではない。来月から旅行積み立ても始めるつもりなのだから、本気も本気です。
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