「専業主婦に向いてない」と気づいた主婦が、45歳でパン屋を開業!“第二の人生”をスタートできた理由【引田かおりさんインタビュー】

家族・人間関係

2021.05.23

東京・吉祥寺にあるパン屋さん「Dans Dix ans(ダンディゾン)」。近隣の人たちだけではなく、遠方からもパン好きが集まることで有名なお店です。このパン屋さんと同じ建物の2階にあるギャラリー「gallery fève(ギャラリー フェブ)」、2つの店舗のオーナーである引田かおりさんは、生き方、暮らし方でも多くの人たちから注目されています。20代は専業主婦、30代は絵本屋さんでのパート、そして40代でパン屋さんとギャラリーのオーナーとなった引田さんのこれまでについて教えていただきました。

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家族のために生きることを覚悟した20代

――引田さんはパン屋さんとギャラリーのオーナーとしてメディアでも度々注目され、30〜40代からは「好きなことをして生きていく」人のお手本にもなっている方だと思います。今吉祥寺に構えるパン屋さんを開いたのは何歳のときでしたか?

引田かおりさん

45歳のときです。自分が本当においしいと思っているパン屋さんをプロデュースしている方とのご縁があって、それと同時に、今お店を構えている土地との出会いもありました。周囲の方々のさまざまなご協力をいただき、パン屋さんをオープンすることができたんです。
最初プロデューサーに「3年は赤字を覚悟してください」と言われていたのに、ありがたいことにたくさんの方に注目していただき、土砂降りの開店日には長蛇の列ができたほどです。

――初日から注目されていたのですね! パン屋さんもそうですが順調な今があるのは、20代、30代のときの経験があったからではないでしょうか。引田さんは、どんな20代を過ごしてきたのですか?

私は20歳で結婚しました。生まれ育った実家は、愛が溢れるような家庭ではなかったので、自分でしっかり根を張れるような家族を作りたいという気持ちを人よりも強く持っていたと思います。振り返ってみると、11歳年上の夫から「僕と結婚したら絶対幸せになる」とプロポーズされて、その強い気持ちに引っ張られて結婚したことが自分の大きな転換期になったと思います。

友人たちが大学生生活を謳歌している頃、私は夜泣きする子どもを抱えていました。結婚も出産も、男の人は何も環境が変わらないのに女の人は激変するんですよね。夫は猛烈会社員だし、子育ては今でいうところの“完全なワンオペ”状態。今考えると私の内面もまだ幼かったこともあって、気持ちが現実に追いつけなくてとても辛かった時期です。

――20代前半で環境が激変し、その辛い状況からどのように抜け出したのですか?

毎日、食事の準備をして待っていても、夫は仕事から帰ってこないので、ごはんがどんどん溜まっていくんです。今のように「今日は遅くなる」というメールがくるわけでもなく、電話もこない。そんな日々が続き、辛すぎる……と思っていたときに、夫のサンフランシスコへの転勤が決まったんです。2歳半と半年の子を連れて、22歳から25歳の期間をサンフランシスコで過ごしました。

――サンフランシスコでの生活は、どのように引田さんを救ったのでしょうか。

日本にいるときは仕事が忙しくて全く家に帰ってこなかった夫が、サンフランシスコに行った途端、毎日5時に帰ってくるようになりました。そのおかげで、家族4人の時間を過ごせるようになったんです。あの3年間があって本当によかったなと思います。東京に戻ってきたらあっけなく元に戻りましたけど(笑)。

――戻ってしまったんですね(笑)。日本に戻り、辛かったときと同じ状況になって、今度はどのように乗り越えたんですか?

「今は、子育てと主婦をしっかりやるときなんだ」という覚悟をしたんです。幸せな家庭を築きたいなら、今は夫を支えて子育てをする時間だと割り切るしかないと。もちろんそんなにうまく割り切れませんけど、子どもだって永遠に小さいわけじゃなくて、一人でランドセル背負って学校へ行くようになる。どんなことも、時間が助けてくれます。

それからは、家族が「ただいま」と帰ってくるときは家にいようとか、ご飯はなるべく一緒に食べようとか、そういうことを最優先事項にしようと決めたんです。食事をないがしろにしたくないという気持ちが強かったので、食事作りはちゃんとしました。

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