「専業主婦に向いてない」と気づいた主婦が、45歳でパン屋を開業!“第二の人生”をスタートできた理由【引田かおりさんインタビュー】

家族・人間関係

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「私、専業主婦に向いてない」と気づいた20代後半

――仕事をしたいと思ったのは、いつ頃からでしたか?

当時は働いているお母さんも少なかったし、会社に勤めていても結婚が決まれば寿退社をするか、子どもができたタイミングで退社するという時代だったんですよね。でも子どもたちが小学校に入ると、「私、専業主婦に向いてないな」ということがわかってきて、外に出て働きたいという気持ちがすごく強くなったんです。

何とか外で働きたいなと思っていたときに、絵本屋さんでアルバイト募集という張り紙を見つけました。10時から2時まで、週に3回という理想的な条件だったのですぐに働き始め、そこで約13年働きました。途中、何度か店長をやってほしいというお話をいただいたのですが、そのときは、家庭が最優先だったのでフルタイムでは働けないとお断りしたんです。

――すごく楽しんでいるお仕事であっても、家族優先というのは絶対だったんですね。

サンフランシスコから帰ってきたときに、自分の中の優先順位をしっかり持っていようと思ったんです。自分がやるべきことを放棄して、やりたいことだけを主張したらどうなるんだろうと考えたら、私が望んでいるものではないと思ったし、何より子育てで後悔したくないという気持ちが強かったんだと思います。

不調に悩まされた30代。第二の人生がスタートした40代

――かなり内容の濃い20代を過ごしていらっしゃったんだなと驚きましたが、30代はどんな時期でしたか?

私、もともとはすごく健康だったのに、結婚して子どもを産んだ途端に体が弱くなりすぐに不調になるので、体力に自信がなくなってしまったのが30代の頃。不調に悩まされることも多くて、大変な時期だった気がします。

でも働くことは好きだったので、絵本屋さんの仕事を続けながら、友人が経営する病院を手伝うために医療事務の資格を取るなど、時間をやりくりしながらできそうなことにチャレンジしていました。

――専業主婦、絵本屋さんでのパートを経て、40代になってからパン屋さんとギャラリーのオーナーになられるわけですが、どういった経緯だったのでしょうか。

夫が52歳のときに、「会社員を辞める」と言ったんです。それを聞いたときに、「私、パン屋さんがやりたい!」という思いが突然降ってきたんです。それまでパンを焼いたこともなければ、特別パンが好きだったわけでもないのに。パン屋の開店に関しては、「自分の住む町に恩返しでパン屋を作りたい」と答えたこともありますけど、本当はなんとなくだったんです(笑)。

――40代になって、なんとなくのひらめきから第二の人生がスタートしたわけですよね。

そうですね。人生の後半は、面白いはじまりでした。今でも時々「なんで私、こんなことできているんだろうな」と思うんです。美術の勉強をしたわけじゃないし、パンを焼いたこともない。でも一つだけ言えるのは、“ちゃんと暮らしてきた”ということ。向いてないなりに主婦もやり、子育てもやったので、そこには悔いがない。私なりにベストを尽くしたと思えることで、次につなげられたと思うんです。

20代は子育てと家庭に専念することを覚悟した引田さん。どんなときも自分の気持ちとしっかり向き合い、そのときに必要な決断をしてきたのですね。次回は引田さんご夫婦の円満の秘訣を伺います。

お話を伺ったのは……引田かおりさん

引田かおりさんPhoto by 濱津和貴

夫の引田ターセンと共に、2003年より東京・吉祥寺にある「ギャラリーfève」とパン屋「ダンディゾン」を営む。さまざまなジャンルの作り手と交流を深め、新しい魅力を引き出し、世に提案していくことを大きな喜びとしている。著書に『私がずっと好きなもの』(マイナビ)、ターセンとの共著に『しあわせな二人』『二人のおうち』『しあわせのつくり方』(すべてKADOKAWA)『「どっちでもいい」をやめてみる』(ポプラ社)がある。

 

引田かおりさん書籍 『どっちでもいいをやめてみる』

「どっちでもいい」をやめてみる
著者:引田かおり
出版社 : ポプラ社

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