とある夕方の路線バスで
「世の中捨てたもんじゃない!」っていう話。
もう数年前の、とある町の路線バス。夕方で高校生や仕事帰りの人たちや塾へ急ぐ中学生が乗り合わせ、混雑中。私は駅から義父の入所する施設に届け物を持って乗車した。
住宅地の坂道を上り…
薄暗い住宅街の坂道をぐねぐねと登る途中、雨が降り出した。冬ではなかったけれど、それでも夕方の雨は寂しく冷たく心細くなるような…とにかくネガティブな心持ちになる。その上、バスは何度も大きく曲がるので、つり革を持ちながら斜めになる身体を支えることだけを考えていた。
バス停に着くとそこには
いくつめかの停留所に着いたとき、眼鏡をかけたトレンチコートの女性が席を立ってバスを下車。
すると車内で立って文庫本を読んでいた妙齢の男性が窓の外に何かを見つけ、本を閉じ、ドア付近を見つめ、自らが抱えていた黒い皮のカバンをさっ!と投げた。そこは眼鏡の女性がさっきまで座っていた、ふたり席の通路側。
「そこ!この乳母車(久々に聞いたなw)のお母さんの席やから!誰も座らんといて!」黒皮カバンの主の声は、切羽詰まったような危険を知らせるような声ではなく、学校の先生のような輪郭のはっきりした温かみのある声。
雨の中、赤ちゃんを抱いて…
車内にいた全員が一斉に目を向けたドア付近には、片手で赤ちゃんを抱き、もう片方の手だけでベビーカーを畳もうとしている若いお母さんの姿。
今はどうだか知らないけれど、当時「バスの中でベビーカーを広げたままにするのはいかがなものか」的な論争があり、畳んで乗車するべき…という風潮があった。しかし、雨が降り荷物もあり…という状況、もちろんなかなか作業は進まない。
一期一会のチームワークで
推定40代のパンツスーツ女子がすぐに気づいて、ベビーカーを畳みながら声をかけ、スペシャルシートにご案内。
男子高校生がベビーカーを預かり「終点までいくので持ってます。」とジェントルマンぶりを発揮すれば、隣にいたシニアなご婦人はかまってあげたくてしょうが無いといった表情で、バッグから上品なハンカチを出して、赤ちゃんとお母さんの肩や背中の雨粒を拭いている。
みんな、やさしいなぁ…
「ありがとうございます!」
ひとりひとりに「ありがとうございます」と、目を合わせてお礼を言うお母さんの健気な姿と、泣かずに車内をきょろきょろと見まわす赤ちゃんの可愛らしさ、素晴らしい連係プレーを見せてくれた「たまたま居合わせた人たち」の行動力に、ほっこりしていると……
発車と同時に運転手さんの「お席をお譲りいただき、ありがとうございます。」という声が車内に流れた。
なんかいいよね!
正確に言うと、このお母さんと赤ちゃんに席をわざわざ譲った人はいなかったのだけれど、もしかするとお仕事に疲れた誰かや、部活でクタクタな高校生が、座りたかった席だったかもしれない。
その席を最初に親子を見つけた男性がカバンでキープしながら声を発してくれたからこそ、この思いに賛同した人々が協力し合い、このファインプレーが成立した。
最後にきちんとひとりひとりの気持ちを拾ってくれた運転手さんも素敵でしょ?
何年経っても忘れられない、ほんの数分のドキュメンタリー。「世の中捨てたもんじゃない」よね。