「子どもを”信じて”あげるようにしましょう」
なにかの子育て本にそう書いてあった。
夫(妻)を信じてみよう。
部下を信じてみよう。
友人を信じてみよう。
「信じる」って簡単に言うけれど、いったい何をどうすれば信じてるってことになるんだろう?
信じることが苦手で、昔仕事の部下からも「三木さん、俺のこと全然信じてくれてないからな〜」と苦笑いされたこともある。そんなぼくが、妻から「信じるってのは技術なんだな」と教わりました。
今日は、ぼくが子育てを通じて「子どもを信じる」ってどういうことなのかを学んだお話を伝えたいと思います。
3歳の娘を信じてあげられなかったぼくと、最後まで信じた妻
ぼくは何事においても心配性です。
自転車の練習をすれば「転ばないかな?」と手を差し伸べ、「ひとりで買い物してみたい!」と言えば少し離れたところからソワソワと眺めてしまいます。
そして、娘がまだ小さい3歳のころ。
「これハサミでチョキチョキしていい?」と言い出しました。
子ども用のハサミを持たせて、紙を刃に当て、切り進む。上手に切れず、ハサミに挟まれる度にクシャッとなる紙。切れないことにもどかしくなってきた娘の手には、イライラと力が入る。
そのまま右手で持ったハサミは、紙を押さえている左手の指にどんどんと近づいていきます。
「ちょっと、パパに貸してごらん」
もう見ていられなくなってしまって、ぼくは思わずハサミを取り上げてしまいました。
「自分でやりたい!」
そう言って不服そうな娘を尻目に、紙を切ってあげる。
子どもが怪我をしないように見守ることは、大切な親の役割なのだと思いながら。
──別の日。
今度は娘が妻に「ハサミやりたい!」と言った。
「はい、どうぞ」とハサミを渡した後、妻は娘がハサミを使う様子をじーっと見たりはせずに、横目でちらっと眺める程度。
心配になったぼくが「大丈夫かな?」と声をかけると、
「大丈夫でしょ。万が一ちょっと切ったって痛いってわかるでしょ」
と動じない。
そう言えば昔一緒に働いていた職人親方も、平気で子どもにノコギリやトンカチを握らせては同じことを言っていた。
娘は一生懸命集中しながら、危うく指を切りそうになっても巧みに避けながら、紙を自分の力で切り終えた。渾身のドヤ顔で「できたー!」と嬉しそうに紙を見せる娘に「よくがんばったね」と声をかける妻。
不服そうな顔と、渾身のドヤ顔。同じハサミを使わせるということだけで、こうも子どもの顔が違うのかと愕然としました。
失敗したら「ナイスファイトーー!!!」
娘がつかまり立ちをする頃から、転んだり失敗した時に決まって妻がかける掛け声があります。
「ナイスファイトーー!!!」
嬉しそうに、楽しそうに、失敗したことよりも挑戦したこととして褒めてあげる。
いまではそれがわが家の習慣になっています。
そんな妻の姿を見て「信じる」っていうのは、こういうことなんだなと思うのです。
「信じる」技術
「信じる」とは「待つ」ことと「責任を負う覚悟を持つこと」このふたつなのです。
いくら口で「信じているよ」と言ったって、それが信じているということにはならない。
万が一の責任を負う覚悟を持って、口出しせずに待つ。
そうやって信じることで変わるのは子ども自身ではありません。
変わるのは「子どもとの関係性」。
パートナーに対しても、仕事の仲間に対してもきっと同じ。
そうして育まれた関係性は、きっと大きな安心にもなるし、自信にも繋がる。
「信じているよ」は口で言っても伝わらないかもしれない。
だけど、ちゃんと伝えるための技術を身につければ、相手も自分も喜びが何倍にもなれる。それが”信じる”技術なのです。