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子どもがゲームの時間を守らない…。子どもを「信じて見守る」のと「言いなりになる」の明確な違いとは

家族・人間関係

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2023.01.22

子どもを「信じている」のと何でも受け入れて「言いなりになる」の境界線が難しい。 どこまで子どもの言うことを受け入れ、どこまで自分の意見を突き通せばいいのかよくわからないって親御さんは、多いのではないでしょうか。 ゲームをしたいと言ったり、学校に行きたくないと言ったり。 どこまで受け入れて、どこから強制すればいいのでしょうか。 じつは「信じる」と「言いなりになる」は全く違う領域の話だと、僕は考えています。 言うなれば「うどん」と「そうめん」くらい違う。 どういうことかと言うと。

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「信じる」とは何か?

以前、「信じる」とは「技術」だよね、という記事を書きました。
そこに記したように信じるとは、

・待つこと
・責任を負う覚悟を持つこと

の2つだと考えています。

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横から口出しをしたり、途中で手を出したりしないで最後まで「待つ」こと。
そして、失敗してしまっても最後には「責任を負う」という覚悟を持つこと。
この2つがあるから、人は相手に「信じてもらえている」と感じるのだと思うのです。

大人でも同じです。任せた仕事に対して横から口出しをしたり、失敗したら「ほら、だから言ったじゃん。どうするんだよ?」と責任を一方的に負わされることになるなら。部下は上司を「信じてもらってる」なんて思えません。

もう少し深堀りしてみると。
じつは、自分の中に「これは曲げられない」という信念がなければ、人を信じることはできません。

たとえば。
動画やゲームの視聴が止まらない子ども。
「ゲームは9時までだよ」と約束したのにも関わらず、時間を過ぎても終わらない。
「自分で気がついて辞めるまで『待つ』」と言うのは、本当にいいのでしょうか。
もしも、いつもはちゃんと時間通りに守れているのなら、少し待ってみてもいいかもしれません。それはちゃんと信頼の積み重ねがあるから。
けど、いつも守れていないのだとしたら、それ以上待つのは「待っている」のではなく「放置している」と言うことになります。

声を掛けることと、声を掛けない判断の違いはどこにあるのでしょうか。

それが自分の中の「信念」が拠り所になると思うのです。

「約束は守らなくちゃダメ」という信念が、もし自分の中にあるのなら。
約束を守るよう、しっかりと伝えればいいのです。

「待つ」とは「まだ時間になってないのに、何度も何度も口うるさく『9時までだよ、わかってる?』などと言わない」ことです。

「言いなりになる」とは何か?

一方の「言いなりになる」とは。
「判断を相手に委ねる」ことに他なりません。

言いなりになっている状態だと、信念も揺らいでいるし、責任を負う覚悟も持てません。

表面的にはどちらも「子どもの言うことを受け入れている」と思えるかもしれません。でも、やはり「信じる」とは全く違うことなのです。

他人の目線で俯瞰するとよくわかる

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それでも、もし自分が「信じている」のか「言いなりになってしまっている」のか解らなくなってしまったら。
その状況を他人の目線で俯瞰して見てみると、よくわかります。(これをメタ認知と言います)

A:子どもに何を言われてもただそのとおりにするのではなく、話し合って解決策を見出したり、ときには妥協したり、貫き通したりすることもある。けど、ダメなことはダメと伝え、良いことは良いと自分の意見を言うことができる関係。

B:子どもが言うことだから、この子のためになるからと、子どもの言う通りに何でも受け入れている関係。

AとBでは、どちらが子どもを「信じている」関係でしょうか。
「妥協したり」「貫き通したり」と一見、ブレているように見えるかもしれませんが、Aの方が子どもを信じているように見えるのではないでしょうか。

子どもの言うことを受け入れているかどうか、というのは本来は枝葉の話なのです。
受け入れることもあるし、突っぱねることもある。どちらかに偏り過ぎるのではなく、自分の信念に照らして判断できることが「信じる」へと繋がるのだと思います。

人を信じる=自分を信じる

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信じるとは、相手を信じている自分を信じる、ということ。

相手を信じようとしている自分自身に、確信が持てなかったら相手を信じることは難しいのです。

でも「正しい結果を出せるかどうか」が問題なのではありません。

「色々あると思うし、失敗も多いと思うけど、とにかく最後まで付き合うよ」という気持ちを持てるかどうかです。
つまり「責任を負う覚悟を持つ」ということなのです。

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