いじめを受けていた小学校時代
今から30年ほど昔。小学生だったぼくは、ずっといじめを受けていました。
当時はあまり「いじめ」という認識はなかったかもしれません。でも、教室に入ると自分の机がなく、校庭の真ん中に置かれているとか。
前から配られるプリントが自分だけいつも回ってこないとか。いつの間にかクラス中からシカトをされているなど。
最初は一部のグループから始まったいじめは、いつの間にかクラス中へと広がっていました。
朝起きると頭が痛い。お腹が痛い。でも共働きだったわが家では、学校を休むことは簡単には許されませんでした。
ぼくにとって学校とは、地獄のような場所でした。
だから夏休みは、本当にのびのびと過ごせる期間。
田舎に帰省して、祖父母からめいっぱい可愛がられ、愛され、自分をありのままに肯定できるわずかな期間でした。
東京へ戻る新幹線の中。
毎年のように「田舎に戻りたい」と泣きじゃくっていたのを、今でもよく覚えています。
親は、その本当の理由を今でも知らないと思います。
結局僕は、いじめられていることを親には言わないまま今日まで過ごして来たのです。
学校を休む勇気
「行きたくないからって、簡単に学校を休むのは逃げだと思った」
以前、不登校の子を持つ親御さんへの取材をしていたときに、何度も聞いたセリフです。
最初はそう思っていた親御さんたちも、だんだん「逃げ」なんかじゃないって気がついて、後悔していました。
子どもが「学校に行きたくない」と言うのは、ものすごい勇気がいることです。
ぼくは何度も親に言おうと思って、結局言えなかった。「休みたい」とは言えても、本当の理由は言えなかった。
心配をかけること、根掘り葉掘り聞かれること、その後大事になりそうなこと。
どれをとっても、想像しただけでしんどい。
自分が我慢して、黙って学校へ行って、その日をやり過ごしさえすればいい。
学校を休む勇気がなかった僕は、傷つきながら学校へ通うという方へ逃げてしまった。
勇気を持って親や先生にはっきりと「休みたい」と言えなかったから。
子どもが「行きたくない」というとき。
その言葉や態度は、ぶっきらぼうに、面倒くさそうに、逃げているように見えることもあるかもしれません。
でも、その言葉を口にするには大きな覚悟が必要だったのかもしれません。
ただ、信じてほしかった
今日は、親として自分の子どもが「学校へ行きたくない」と言ったらどうしてあげるかではなく。
自分が子どもの頃、大人にどうして欲しかったのかを振り返りたいと思います。
子どもの頃のぼくが、大人に求めていたこと。
それは、ただ信じてくれることでした。
休みたいけど本当の理由を言えなかった僕は、思いつく限りの仮病で逃げようとしました。
本当に頭も痛くなるけど、病気なわけじゃない。いつしか「すぐ仮病を使ってサボろうとする子」という見られ方をするようになってしまった。
いじめも辛かったけど、そう思われることが自分の行き場をなくしてしまったように思うのです。
親も、先生も、保険の先生も「また仮病?」と呆れていました。
ちゃんと本当のことを言葉にできる子もいるかもしれません。
でも、口にするのに時間がかかる子もいる。
理由をはっきりと言えないこともある。
でも、切羽詰まった「行きたくない」には、その子にとって大切な理由があると思うのです。
もしかしたら、いじめとかではなくて、大人からしたらどうでもいいように見える理由かもしれません。
大事なのは、理由の正当性なんかじゃなく、その子がどれだけ苦しいかだと思うのです。
不登校にならなかったことは「成功体験」ではない
結果的に、ぼくは不登校にはなりませんでした。
でもそれは「成功体験」なんかじゃありません。大人になった今でさえ、その頃負った傷の影響は小さくないと感じます。
人は辛い体験からも多くを学べます。でも、前向きな体験からはもっともっと素晴らしい学びを得られます。
学校だけが学びの場じゃない。
いじめられる傷を負ってまで、通わなくちゃいけないとも思えない。
学校に行くのが苦しくて苦しくて仕方がないとき。
「学校に行かなくても大丈夫だよ」
そう言ってあげられる社会でありたい。
そう言って、新しい道を一緒に探してあげられる大人でありたいと、ぼくはそう思うのです。