子育てをしていると、夫婦で意見が真っ二つに割れることがあります。
とくに答えがなく、大きな揉め事になりがちなこと。
- 受験など教育観の違い
- スマホやゲームの価値観の違い
- 習い事どうするか問題
この3つが、夫婦が揉める3大事案と言われています。
たとえば教育観。
しっかりと受験して偏差値の高い学校を出た方が子どもの環境としても、将来的にも役に立つと信じている夫(妻)。
受験をするよりも、自然豊かに自由にやりたいことに夢中になりながら過ごす子ども時代を大切にしてあげたい妻(夫)。
どちらが正しいでしょうか?
べつに正解はありません。
でも、お互い自分が正しいと信じている。
自分の経験から、しっかり勉強をやってきたことがいまの成功につながっていると確信。さらに様々な研究結果からも幼少期から勉強をしっかりすることは大切だと確信している夫(妻)。
一方、同じく自分の経験から自然環境と触れ合うこと、子ども時代をのびのびと過ごすことの大切さを知り、詰め込み教育の弊害など社会の風潮や周りの信頼できる人たちの意見からも、受験漬けさせることに抵抗感を持つ妻(夫)。
どんな知識、経験からその考えに至るかもそれぞれです。
こうした育児に関する揉め事は、なかなか着地点が見えてきません。
その中で「これぞベスト!」とよく聞かれるのが「子どもに聞いてみる」です。
子どものことだから、子どもに聞いてみるのは正しいのか?
一言で「子どもに聞いてみる」と言っても、そこに含まれる意味は二種類に分かれてしまうようです。
1.子どもに決定を委ねる
2.子どもを観察する
これは、同じ「子どもに聞いてみる」でもまったく違うアプローチになります。
とても危険なのは「夫婦の意見が割れたから、子どもに決めてもらう」です。
子どもに責任を丸投げしない
夫婦で折り合いのつかない話の責任を、子どもに取らせようというのはあまりにも酷です。
子どもは、両親の立場を度外視して自分の意見を強固に貫き通すことができるでしょうか。
「パパについたら、ママは可愛そうかな?」なんて考えがよぎれば、本当に大切なことを見失う可能性もあります。
また、子どもに責任を丸投げしてしまった場合。親はこう口にしてしまいがちです。
「自分で決めたんでしょ?」
受験に限らず。習い事でも、遊びでも勉強でも。
最初から自分が「やりたい!」といい出したことならいざしらず、親が対立した事案の責任を子どもに委ねるのは、少し酷ではないでしょうか。
子育てのことで夫婦で揉めてしまった。
その答えを求めて、子どもに責任を丸投げしてしまうのは、決して最適な解決策だとは思えないのです。
「子どもに聞く」とは「子どもをよく観察する」こと
子どもをよく観察する。これは本当に大切なことだと思います。
教育観、習い事、スマホ、そうした揉め事について語る時、どうしても自分の価値観の話が大きくなりがちです。
でも、その学校を受けるのも、習い事をするのも、スマホを持ったり持てなかったりするのも、子ども自身。
大切なのは、親の価値観た経験ではなく、その子自身にとってどうなのかです。
・子どもの性格や特性は?
・子どものやりたい気持ちは?
・子どもの周りの環境は?
子どもを中心とした視点で、その子にとって何がベターなのか。
話し合うべきは、夫の意見が正しいか、妻の意見が正しいかではなく、その子にとってどの選択肢がベターなのかです。
夫婦で意見が対立してしまうと、つい論点がズレてしまいがちです。
意見が割れたら、一歩ずつ歩みよってみる
わが家では、夫婦で意見が割れたときには、お互いが一歩ずつ意識的に歩み寄ってみます。
「受験することも大事な経験になるかもしれない」
「自然豊かな環境でのびのびする時間も有意義な体験かもしれない」
自分とは違った価値観でも、意識的にお互いがそう思い合ってみる。
それだけでも、対立の壁がすこし緩まってきます。
どっちか決着がつかないから、子どもに決めてもらおう。
ではなく、子どもをしっかり観察しつつ、子どもにとってのベターを家族みんなで考えていけるといいですね。