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受験させた方がいい?習い事は…?親になって思う。「親は子育ての正解を知らない」という話

家族・人間関係

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2023.06.27

世の中には、たくさんの子育てマニュアルが溢れています。 小学生の子どもに、勉強を一生懸命やらせる。 特別スパルタなわけじゃない、やればできるはず。それなのに、子どもは甘えて逃げてばかり。 でも、親になってよく思うのです。 「親は子育ての正解をしらない」と。

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特集:親も子も幸せになるための「子育て」

やめられない「やめれば?」

「嫌ならやめれば?」
8歳になる娘が習い事のプールに行きたくないと言ったとき。僕は思わずそう口にしていた。

じっと、僕の方を見つめながら何かを考えている。

……この子はいま、何を考えているんだろう?

自分が本当にやめたいかどうかを考えているのだろうか?
それとも、「じゃあ、やめる」と言ったときの、親のリアクションを考えているのだろうか?

親子出典:stock.adobe.com

僕が子どものころ。
大人の言う「やめれば?」は選択肢ではなかった。それは「やめるな」の裏返しであり「やめない」と言うかどうかをただ試しているだけの言葉だった。

大人はズルい。
「出ていけ!」と言われて出ていけば怒られる。
「食べるな!」と言われて食べなければ「食べろ」と言われる。
「やめれば」と言われてやめようとすれば「根性なし」とののしられる。

だから、子どもは大人の言葉の中にいつしか正解を探すようになる。

だけど、そうして選んだ正解の言葉は、かえって子どもの行動を縛り付けることになる。

「自分で『やる』って決めたんだろ?」と。

決めていない。本当は、決めてなんかいないのだ。
大人の言葉の中に隠れている「正解」を口にしただけで、それは自分自身の本心ではなかったのだ。

親は”正解”なんか知らない

僕は、自分が親になってから、子どもに「正解」を示さなくてはならないと思っている自分に気がついた。
まわりを見渡すと、他の親御さんも自分なりの「正解」を子どもに示そうとしているようだった。

夫婦出典:stock.adobe.com

「これからの時代、英語くらい話せていないとダメ。高校に上がる前に話せてるのは最低限」
「自分が子どものときは、このくらい当たり前にやってた。それができないのは甘え」
「いま中学受験を一生懸命やっておけば、あとで楽になるから」

子どもの教育の話になると、顔を赤らめながら熱意を持ってそう語る親御さんもいた。

親が道を示してあげなければ、子どもは自分で正しい道を歩むことはできない。
自分が子どものころにした後悔を、この子にはさせたくない。
子どものうちからがんばっておけば、将来の選択肢が圧倒的に増えるはず。

親だって、必死なのだ。
この子に最高の人生を歩んで欲しい。いや、最高の人生とまでは言わない。後悔なく過不足なく、これからの厳しい時代を乗り越えて欲しい。

だれも「自分は人生の正解を知っている」なんて思ってるわけじゃない。
迷いながら、悩みながら、この子にとっての正解を示してあげようと考えている。

だけど、そんな示した道が子どもを追い詰めていることってないだろうか?

自分のこと、我が子のことだと気が付かない。
でも他の家の教育方針を聞いているとふと感じることがある。

「それって、子どもはけっこう辛いんじゃないかな」って。

息をつく間もなく塾に通い、習い事に明け暮れ、ゲームの時間は1時間と区切られ。
より良い将来のために、子どもたちの「今」という時間は投資させられているように見える。

子ども出典:stock.adobe.com

じゃあ、わが子はどうだろう。

息をつく間はあるだろうか?
今しかない子ども時代を、全身全霊で楽しむことができているだろうか?
だらだらしたり、ぐずぐずしたり、甘えたり、失敗したり、負けたり、嘘ついたり、逃げ出したり。
そういう経験を、のびのびすることはできているだろうか?

「あの家はそうかもしれない。でも、わが家はそうじゃないよね」

無意識にそう思ってしまう自分がいる。
だから、あらためて自分自身に問いかけたい。常に問い続けていたい。

「続ける」と言った、その言葉を尊重する

「パパとか、ママのことは気にしないで、本当にプールをやめてもいいんだよ?」
娘にそう問いかけてみた。

「でも、行ったら楽しいんだよなぁ」
ひとりでブツブツと考えている。
「お金もかかってるし」とか「疲れちゃうんだよなぁ」とか。8歳なのに、色んなことが悩ましいのだろう。

「やめたらどうなるか、続けたらどうなるか、一緒に考えてみよう」
そう提案して、色々考えてみた。

お金は気にすることじゃない
泳げるようになりたい。
行ったら楽しい。
けど、スクールの用事やなんかで休みがちになってる。
そして、行ったら疲れちゃう。

パパはどう思う? と聞かれたから思ったままを伝えた。
「いまじゃなくてもいいけど、小学生のうちに泳げるようになっておくといいと思うよ」

もしかしたら、それが決め手になったのかもしれない。

「それじゃ、もう少し続ける」

どうやら、自分なりに納得したようだった。

スイミングスクール出典:stock.adobe.com

僕は、娘に過度の期待をしないようにしなきゃなと思った。
泳げるようになること、休まずに通い続けること、そうした成果ばかりを期待するのは、娘にとってもプレッシャーだろう。

だけど、自分で考えて導き出した「続ける」という言葉は信じてあげようと思う。
嫌になることも、またあるだろう。でも、いまこの瞬間に続けたいと思ったのは、きっと本心なのだ。


やめようと、続けようと、正直どっちでもいい。
プールに限った話じゃない。

何が子育ての正解かなんて、誰にもわからないのだ。
受験することが本当に正しいのだろうか?
英語が話せなければ負けなのだろうか?
好きなことだけやっていては、まともな大人になれないのだろうか?

僕は、子どもに正解のレールを敷いてあげるのではなく。
一緒にどのレールを敷くか迷いながら、それぞれの選択を「正解だったね」と笑い合っていたい。
 

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著者

三木智有

三木智有

NPO法人tadaima!代表 日本唯一の家事シェア研究家/子育て家庭のためのモヨウ替えコンサルタント。著書に『家族全員自分で動く チーム家事』がある。

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