絶対に怒らない?「徹底した褒める育児」に超違和感
以前テレビで、ある芸能人の子育ての様子が放送されていました。そのご家庭は「怒らない育児」を徹底しているようで、子どもがピアノの上に飛び乗っても、ガラスのコップを投げても、撮影スタッフに蹴りを入れても「そういう元気なところ、いいね!」と褒めていました。
それを見て「…嘘だろ? いやいや、これ、絶対ダメじゃない?」と非常にびっくりしたのを今でも覚えています。
子どもの言うことを尊重してあげたいと思うあまりに、「子どもの言いなり」になってしまっている親御さんもいれば、小さい頃から絶対に〇〇はやっておくべき、という信念で3歳くらいから色んなことを教えこんでいる親御さんもいます。
怒るのはダメ。とにかく褒める。小さい頃から〇〇を勉強しておかなきゃダメ。子どものニーズをしっかり聞く。
いまの子育て社会は極端な「成功法則」と「失敗法則」で溢れかえっているなと感じます。
みんな子育てに正解を求め過ぎじゃない?
ものすごく教育熱心な人とか、知識が豊富でいかにも正解を知っていそうな人がまわりにいると「すごいなぁ」と思って焦ってしまうこともあるかもしれません。
でも、そんな姿を見て自分が子育てに翻弄されてしまっても仕方ありません。
子育ては育成ゲームではないのです。〇〇をしたから〇〇のパラメーターがUPする、〇〇が手に入ったから幸せになれる、なんて単純なものではないでしょう。
自分の子が、他の子よりも高得点が取れれば嬉しいのが親の本音です。
逆上がりができない同級生の中で、唯一逆上がりができれば誇らしい気持ちになるでしょう。
みんながアルファベットを学んでいる中、すでに英語でコミュニケーションが当たり前に取れるわが子を見れば、自分の教育方針は間違っていなかったと自信を持つかもしれません。
そして、もしかしたら逆の場合は卑屈になってしまうかもしれません。
ですが、よくよく冷静になって考えてみてください。いま、逆上がりができないから何でしょうか? いま、英語が話せないから人生が不幸になりますか? いま、テストの点がよくないとその子の人生は“詰み”なのでしょうか?
そう聞かれれば誰もが「そんなわけない」と答えるでしょう。「まだまだ、これからこの子の可能性は広がっていくところだよ」と。
親の責任は、大きいようで小さい。
自分の人生を振り返ったとき、「親のせいでこうなった」と思うことはどのくらいあるでしょうか。
「子どもの頃に親が英語を習わせてくれなかったから英語が話せないで、いますごく困ってる」
「子どもの頃に親がピアノを習わせてくれなかったから、いま人生が不幸になってる」
そんな人はいないのではないでしょうか。英語が話せないのは親のせいじゃなく自分が勉強をしてこなかったからだし。ピアノが弾きたいなら自分で教室にでも通えばいいだけの話です。
一方で「親のせいで幸せな家族の形がわからない」「親のせいで本当に辛い人生になってしまった」そう悩んでいる人もたくさんいます。
親の役割って、いったい何なのでしょうか。
僕は仕事柄、日々色んなご家族と深いコミュニケーションを取っています。色んな子どもたちにも関わっている。そして親としてのいまもあれば、何より子どもだった自分自身をよく知っています。
だからこそ「親の責任は、大きいようで小さい」と感じています。
子どもにとって親との関係は、多くの場合において一番最初のコミュニケーション経験になるでしょう。親や周りの大人の力がなければ生存だってできません。人と人との関わりを学ぶ最初のケーススタディであり、安心安全にこの世界をサバイブしていく拠り所でもあります。
そうした意味において、親の責任は大きいと言えるかもしれません。
一方で、子どもは10代も半ばになれば、親から離れていきます。友人や親以外の大人とコミュニティを形成し、そこで多くの価値観に触れ、様々な学びを得ます。
親以外から与えられる影響は、自分の人生を振り返ってみても非常に大きいと感じています。そして、親とともに過ごさない期間のほうがあっという間に長くなってしまうのです。
こうした意味において、親の責任、影響は親が思っている以上に小さなものだなと感じます。
「子どもを幸せにする」よりも「子どもと幸せになる」
親があれこれ言いながら子どもを幸せにしようとするのは、なんて難しいことだろうと思います。
だって、子どもがそれを幸せと思うかどうかは本人にしかわからないし、本人にだってわからないかもしれません。
それよりも、子どもと一緒に幸せになる方がずっと手触り感があります。
一緒にいる時間を楽しく過ごしたり、何でもないことで笑い合ったり、色んなことを話し合ったり。
「楽しいね」と言い合える時間を過ごすこと。
誰かの考えた子育ての成功法則を一生懸命なぞるより、そんな日常を少しでも大切にするほうが良いのかもしれません。