なぜ、「性教育」?
さて。「性教育」という言葉に、どのようなイメージをもたれていますか?
重たい遮光カーテンが閉められた教室だったり、多くのクラスメイトと息をひそめながら体育座りをした体育館だったり、ほんのり薄暗くてホコリっぽくて、なんとなくいけないことを聞いているような居心地の悪さを自然とイメージしてしまう、そんな方も多いのではないでしょうか?
アラフォーの私もそのひとり。何度イメージを塗り替えようとしても、性教育になんとなく後ろ暗さを感じてしまう事実は否めません。
もし、その性教育の語り手が学校の先生ではなく「子どもたちの一番身近な存在である親」であるとしたらどうでしょう。伝えるきっかけが子どもへの愛情にあるとしたら、なんだかちょっと印象が……ちがうような気がしませんか?
そうなんです。いまの子どもたちに伝えるべき、いわば「シン・性教育」は決して暗いものではなくて、むしろ明るい。
私個人としては、親子の間の性教育は「命の讃歌」に近い、そんな風に感じています。
実際に私自身も手探りで性教育を進める中で、子どもたちと「からだの話」をかわす時間は、生まれてきてくれたことへの感謝と切っても切り離せない、幸せがぎゅっとつまっていることを痛感しています。
なぜ、「いま」性教育?
性教育の目的のもっともよく知られる側面と言えば、正しい性知識を身につけ、望まない妊娠を避ける、性被害あるいは性加害者になることを避けるなど、男女問わず子ども自身や相手を守ることにあります。それはとても普遍的で非常に重要なこと。
ここではさらに、なぜ「いま」性教育なの?ということについても触れたいと思います。
アラフォー世代の私たちが生きていた時代は今思えばずいぶん均一化された時代でした。しゃべる言語も性のありようも、家族のかたちも「まあ、みんなこんなものよね」というようなスタイルがあったように思います(表面上は、ですね)。しかしいまは、言わずもがな「多様性」の時代。
多様性の時代にとても大切な基本姿勢は、「どんな自分でも認めて愛すること、どんな相手でもそのままを受け入れること」だと考えます。自分とは異なる性質をもつひとに壁をつくっていては、自分自身の世界が狭まるばかり。多様性の時代に生きていくには、自他を許容する力が欠かせないものです。
性の多様性、容姿の多様性……数え上げるときりがないですが、多様性に満ちた相手を受け入れるには、土台に「自分自身を知り、丸ごと受け入れ、愛すること。同時に、相手も自分同様に、丸ごと受け入れられて愛されるべき存在であると考えること」があるのではないでしょうか。
その土壌を耕すことができるのが、まさに性教育、なのです。
親子で楽しむ性教育のススメ
性教育では、自分の来し方を知り、自分を受け入れ愛し、大切にすることを学びます。
子どもたちが、自分の世界を窮屈で孤独なものにせず、豊かで愛に満ちた人生を送れるように。
いま「親子で性教育」を行うこと、そして何より楽しみながら行うことは非常に意義深いことだと考えます。
といっても難しいことはないんです。
私たちhugMEとともに考えながら、「シン・性教育」すなわち「親子で楽しむ性教育」をぜひはじめてみませんか。