「やったらよさそうなこと」に囚われると子育ては辛い
僕は普段から、いろんなご家庭のご相談を受けています。とくにお部屋づくりの相談を受けるときは、その家々の家事シェアのあり方や、育児へのこだわりなどかなり深いお話も伺うことになります。
この13年、そんなご相談を受けていて時折感じるのが「子育ての正解に囚われると、とても苦しそうだな」ということ。
「子育てに正解はない」なんてよく言いますが、「正解らしいこと」を求めてしまうのも、親心です。
親というのはつねに子どものことが心配。より健康に、安心安全に、将来も安泰に成長してほしいと願っています。
ただ、核家族化が進み、小さな子どもと接する機会がないまま親になった、という人も珍しくないでしょう。
すると、子どもへの心配事や願いは色々とありますが、子どものことなんて全くの初めて。当然、何をどうすればいいのかなんてさっぱりわかりません。
おむつの替え方やおくるみで赤ちゃんを包む方法、沐浴のやり方など技術的なことから、コミュニケーションや教育のことなど。
子どもが何をどこまで理解していて、どこまで注意したり、どうやって叱ったりすればいいかまで、親だって試行錯誤の連続です。
そうしたときに、育児書や育児情報は大いに役立ちます。
ですが、そこに書いてあるのは育児方法のひとつでしかありません。それは正解じゃなくて、一事例なのです。
だからある育児書に載っている方法がうまく行ったという人もいれば、まったく役に立たなかったという人もいます。
いまの社会には、とんでもない数の「正解」が溢れています。
たとえば食べる物ひとつ取っても、添加物や化学調味料を徹底的に避けようとする人もいれば。安価で便利だと日常的に購入している人もいます。
ここ数年「エビデンス」や「科学的根拠」があらゆる情報の正しさを裏付けるものとして使われるようになりました。
どんな情報を見ても、それらしいエビデンスがくっついています。
ですが、よく見ていけば「〇〇は体に悪い」というエビデンスもあれば、「〇〇は身体に害はない」というエビデンスもあったりします。
結局のところ、「正しさ」を追求しても、絶対的な正解にたどり着けるとは限りません。
これが、子どもの教育となれば、なおさらです。
そして、よさそうなことをしたからと言って、子どもが親の期待するように育つとは限りません。
「絶対にやっちゃダメなこと」をやらなければ、子育ては100点でいいじゃないか!
子育ての正解なんて、誰にもわかりません。そもそも、何をもって正解とするのかすら人それぞれです。
ですが、絶対にやっちゃダメなことは、正解に比べるとずっとわかりやすい。
・子どもへの暴力、躾と称した体罰
・子どもを無視すること
・子どもの行動を否定ばかりすること
・子どもの存在そのものを否定すること
・子どもの好奇心を否定すること
・子どもの人生を親の成果、評価にしてしまうこと
こうしたことは、子どもの自己肯定感を下げたり、探究心を失わせたり、自己有用感を損ねたりしてしまいます。
何か特別なことをしなくても、こうした「絶対にしちゃダメ」なことをしない。それだけで、子育ては100点でいいのではないでしょうか。
子どもが健康で、なんだか楽しそうに過ごしている。
そして親自身も子どもと一緒にいることを幸せに感じている。
もう、それだけできたら親としては10,000点でしょう!
子どもがいい学校に行こうが、他の子と比べて優秀だろうが、そんなことはしょせんオプションではないでしょうか。
いろんな子育て方法を試してみるのはいいことかもしれません。でも、もしそれが原因で親子ともに苦しくなったり、イライラしてしまうようであれば。
もっと「ゆるゆる」な子育てでいいんじゃないかと思います。
子育てを、子どもと一緒に目一杯楽しみましょう!