夫婦はもっとも身近な「他人」である
結婚当初から大事にしているのが、お互い「他人同士」という意識。
関係が親密になるほど、相手の存在を自分と同じようにとらえてしまいがちです。
ですが、血の繋がりがある親子であっても、相手の考えていることなんてわかりません。ましてや夫婦はただの他人。
同じ意見、同じ価値観、同じ判断をするはずがありません。
自分と違った意見を持っていることは当然です。
それをお互いに意識しているので、意見や価値観の違いに驚くようなことはありません。
意見の違いは、アイデアのひとつでしかない
当然、夫婦で意見が違うこともよくあります。
でも違う意見は、自分とは違ったアイデアのひとつでしかないと思っています。
相手を否定して自分の意見を通すようなことはせず、自分の気持や考えを伝えます。
相手の意見を否定しなければ、感情的になったり喧嘩になったりすることなく、様々な意見を出し合い、話し合いやすくなります。
干渉し過ぎない。適度な距離感
今日、どこで何をしているのか。休みの日をどう過ごすのか。
プライベートな時間は、夫婦であってもとくに干渉しません。それは、無関心ということじゃなく、どこへ行こうが、相手の時間の過ごし方に対してごちゃごちゃ文句を言わないということです。
たとえば「明日は友達とパフェを食べに行くんだ」と妻が話したときに「え、先週も食べてたじゃん。太るよ」とか「最近いつもその友達と出かけてるね。なんで?」とか。そんなことにグチグチと口出しすると、言われたほうは不愉快です。
「ジムでもいったほうがいいんじゃない?」「資格の勉強するんじゃなかったの?」「子どもも一緒に連れて行ってよ」などなど。なぜか、余計なことをクチにする人っています。
そうじゃなくて「いいね! 友達とパフェ、楽しんでおいで!」「美味しそうな写真撮れたら見せて」とか、相手の楽しい時間を見送ってあげればいいだけです。
ただし、わが家では「自由時間の公平性」はとても意識しています。
「子どもの世話をお願いして、自分ばっかり出かけることが多くなってるな」と思えば、その用事が仕事だろうとプライベートだろうと、感謝を伝えて、相手にも同じように自由に過ごす時間を楽しんでもらうように時間調整をします。
その時間に、相手が寝てようが何をしようが、やはり過ごし方には口は出しません。
自分の人生の責任を、相手のせいにしない
夫婦は家族ですから、相手の人生の変化は多かれ少なかれ自分の人生にも影響します。
たとえば、夫の収入が減ったから、生活が苦しくなった、自分も働きに出なくちゃいけなくなった。
妻が働きはじめたから、子どものお迎えや面倒をみるために仕事を調整しなくてはいけなくなった。
こうしたときに、「あなたのせいで、わたしの人生が予定通りにいかなくなった」と思うのは、辛いでしょう。
わが家では相手の変化は、自分にとってもチャンスだととらえるようにしています。
子どもが幼稚園のころ。妻が3ヶ月間単身赴任で家にいない時期がありました。
その期間は、仕事をしながら子どもの面倒をみて、熱を出したりすれば全部の対応をすることになりました。
でも、それは僕にとって子どもと二人で最高の時間を過ごすチャレンジ期間となりました。
大変な思いも、子どもと一緒に乗り越え、仕事で成果を出して帰ってきた妻を大きな喜びとともに迎えました。
こうしたことが、わが家ではたくさんあります。
その都度、相手のせいにしていたら間違いなく喧嘩だらけになってしまったでしょう。
家族を幸せにするパートナーである
根本には、お互いに「家族を幸せにするためのパートナーである」という認識があります。
この思いは、日々のコミュニケーションや、小さな助け合いの中で積み立ててきた信頼貯金です。
お互いに労いの声をかけあうとか。疲れていそうだったら家事を代わってあげるとか。
お疲れ様の意味を込めてアイスを買っておくとか、一緒に話をする時間をちょこちょこ作るとか。
そんなことを積み重ねることが、喧嘩をしない秘訣なのではないかと思います。