人はなぜ、“考えたくないこと”ばかり考えてしまうのか
「心配していることの98%は、ただの心配で終わるの。起きてもないことを考えて不安になるよりも、楽しいことを考えてワクワクしたほうがいいよ」
繊細な性格の娘に、これまで何度も何度も伝えてきたことだ。
この言葉を娘に伝えるときはいつも、「おまえもな……」と、心の中で思っている。娘に偉そうなことを言いつつ、自分だって起きることがないようなことを想定しては、不安になったり心配になったりしているから。
人はなぜか、”考えたくないこと”ばかりを考えてしまう。
例えば、娘によく言って聞かせた「起きてもいない未来の心配」だったり、私で言うと、「過去の後悔」だったり。それ以外にも、「他人からどう見えるか」や「“こうあるべき”のシミュレーション」といった、それ、考えても仕方なくない? ということを、けっこうな時間を使って思考している。
私は、感覚人間ではあるけども、感覚で受け取ったものを思考する癖がある。
そして、たいていは考えれば考えるほどストレスにしかならないことに、思考を使っている。
苦手だと思っていた“瞑想”に挑戦してみた
頭の中が常に忙しい。いろいろ考えすぎて、寝ている間も思考が止まらない。
朝起きると、夢なのか現実なのかわからない記憶があって、起きたばかりなのに常に脳が疲れている。
これはもう、染みついてしまったものだとあきらめていたけど、最近、「諦める」ということはとてももったいないことだとあらゆる面において感じることが増えたので、「何も考えない時間を作る」ということについて向き合ってみることにした。
「何も考えない時間」と聞くと、何を想像するだろうか?
私はこれまでも、ぼーっとする。みたいなこともあまり経験がなかったので、「何も考えない」ということが、そもそもどういうことなのかというところから考えた。
「何も考えない、何も考えない」と頭の中でつぶやきながら目を閉じてみたり、お風呂で水の中にもぐってみたりしたけど、結局、「何も考えない」と考えている時点で、思考は続いている。
そして、最も苦手なことだろうと、目を背け続けてきた「瞑想」を、生活の中に取り入れることにした。
「瞑想に挑戦してみよう」。そう考えた日、そんなことは全く話していない友人から、「ソウルシンク瞑想、おすすめだよ」というメッセージが届いた。
調べてみたら、瞑想が苦手そうな私でもできそう! と思えるものだったので、その日から、朝の15分を瞑想の時間にしている。
思考を止めるのではなく、支配されない時間を持つ
瞑想をはじめて1ヵ月が経った。ここ1週間くらいは、朝と夜、1日2回瞑想をするようになった。
やったこともないのに、なぜか「私は、瞑想が苦手」と決めつけていた思考も、すぐに消えた。友人が教えてくれた、「ソウルシンク瞑想」は、指を使ってカウントとしたり、声を出したりするので、「余計なことを考えてしまうのでは?」「集中できないのでは?」という心配はいらない。
とは言え、最初の数日は、瞑想中に、「あ、10時から打ち合わせだ」とか、「お腹減ったな」とか、思考や邪念が出てきた。でも、以前の私だったら、「ほら、向いてない」と三日坊主になっていたはずなのに、「これも、私らしくていいじゃん!と受け止めて続けることができている。
瞑想が1ヵ月続いているというのは、私の中でかなり大きな出来事。習慣を作るというのは、自分を整えるにはとても大事なことのように感じる。
そして、瞑想を続ける中で感じている変化は、「他者に対しての思考」が減ったこと。以前の私は、常に自分以外の誰かについて考えていた。私が考えても仕方のないことに、ものすごい時間とパワーを使っていたし、そのことをやめたいと思いつつ、やめ方がわからないでいた。
それが、最近はほとんどなくなり、ふと気づくと、自分の中の自分と会話をしていることが増えた。
例えば、イラっとしたとき、「私は今、なぜイラっとしたんだろう」と考える。「こうだから、イラっとしたのか。私は、こういうことがあまり好きではないんだなぁ」という、自分に対しての気づきがある。
思考の変化をすごく感じる。
定期的に受けている整体の先生に、「今日は、体の力が良い感じに抜けてますね」と言われた。先生は、瞑想していることなんて知らないけど、先生の感じた変化は、瞑想をするようになったことで私に起きている変化そのものだった。
朝の15分、夜の15分。1日合計30分。この時間が、今私にとても良い変化を与えてくれている。
思考を止めるというより、「思考に支配されない時間を持つ」。
今の私に必要だったのは、それだった気がしている。



