子どもの可能性を広げるとは?
ぼくも一人の親として、子どもの可能性を広げてあげたいなと思っています。
でも「子どもの可能性」ってなんでしょう。
色んなオルタナティブスクールや教育関係者、親御さん、そして子どもたちと関わってきた中で僕が感じているのが「好奇心」です。
英語を学んでグローバルにコミュニケーションできるようなる。
将棋を学んで深い思考力を身につける。
水泳を通して運動能力を高める。
世の中には色んな習い事があり、その習い事に応じて様々なメリットもあります。
でも、それらの具体的な能力は大人の想像する能力に過ぎません。
大人はその能力があれば、子どもの可能性が広がると思っている。でも、本当にそうかな? と疑問に思います。
そこで広がる可能性は、大人の考えた、大人が評価する範囲での可能性にとどまります。
ぼくにはそれは、子どもの可能性を絞っているように見えることがあります。
たとえば、こんな知人がいました。
あるサッカーが大好きな子。寝ても覚めてもサッカーばかり。でも小学校の高学年になって、親御さんはその子の中学受験を考えるようになったのです。サッカーが強い私立中学に入学するため、塾通いを始めました。塾が忙しくなり、サッカーする時間が少なくなっていく。「今は我慢だ」といいながらお子さんも頑張って勉強をしています。
でも、サッカーから遠のいているので、その子の口からサッカーの話題が出ることがずいぶん少なくなりました。サッカーは受験に合格するまで我慢だと言い聞かせて、休み時間などもサッカーの輪から外れるそうです。
僕はこの子が中学に入って、またちゃんとサッカーを取り戻してくれるといいなと思います。でも、受験に受からなかったら? 2年近いブランクがある中で強い学校に入って練習についていけなかったら? そもそもサッカーへの熱意が以前ほどじゃなくなってしまったら?? 非常にリスクの多い選択のように感じてしまいます。
これは受験だし特別な事例だよ、と思うでしょうか。
でも、「習い事」への期待も同じようなことがあると思うのです。
才能や能力UPではなく経験値UPが大事
点数UP、級や段のUP、大会で勝つこと、習い事にのめり込むと、そうしたことが目的になってしまいがちです。
だけどそれが子どもにとって過度なプレッシャーになることもあります。しんどい子どもたちは、ときに「親のためにがんばってる」という状態になることもあります。思うように結果がでなければ、子どもの努力が足りないのではないかと促し、教室が悪いんじゃないかと点々としたり、うちの子には才能がないんじゃないかとがっかりしたり。
子どもを置き去りにしたまま、一喜一憂する親の姿を見かけるのは、そう珍しいことでもありません。
習い事は、子どもに幅広い体験や多様な経験の場として考えるのがいい。
なぜなら、子どもの可能性を広げるのは、圧倒的に「子どもの好奇心」だからです。
好奇心の火種を消さない
子ども時代の好奇心の力って、本当にすごいのです。なぜそんなにのめり込めるの? と思うほどのめり込む。
電車好きな子や、絵を描くのが好きな子は多いと思いますが、あの子たちのハマり方って、ちょっとマネできないレベルです。
何も一つのことにハマるだけではありません。世界が未知で溢れている子どもたちにとって、あらゆることが好奇心の対象となります。
ですが、子ども自身の行動範囲は限られています。
知らない世界がたくさんある。今はまだ出会っていない魅力的な何かがあるかもしれません。
習い事は、そんな子どもたちの好奇心を刺激してくれる力があります。
スキルアップだけじゃなく、そこで出会った友達から何か刺激を受けることもあるかもしれません。そこから派生してまた違うことに興味が移ることもあるでしょう。
ひとつのことを長く続けることが良しとされがちですが。
興味の対象が変わったなら、そちらに移ることは決して悪いことではありません。「我慢強さ」や「やめないこと」が称賛されがちですが、それと引き換えに多様な経験や行動力をないがしろにしてはモッタイナイ。
好奇心は、子どもの行動力のエネルギーになります。
だけど好奇心の火種は、すぐに消えてしまいがちです。
その火を大切に育ててあげることが、子どもの可能性を広げる、ということではないかと思うのです。