自分への評価は必要か?
最近よく聞く「自己肯定感」という言葉。
これを高めれば生きやすく、人生の幸福度が上がるらしい…とは言うものの、逆にこの言葉に追いかけられて息苦しくなってはいませんか?「高い、低い」や「良い、悪い」のような評価は、そもそも「自分」に対する感じ方や生き方に必要なんだろうか。
美は自己肯定感を高める?
あるドキュメンタリー番組、深夜のドラッグストアでつけまつ毛を買った若くて派手目な女の子が、店の外に出るや否やまつ毛に接着剤を付けながら「整形のためにキャバクラで働いている。可愛くなったら自己肯定感もあがるし。」とコメントしていた。
「自己肯定感ってこういうこと?」と多少の違和感を感じたけれど、確かに美しくなれば自信が持てるし、自分らしく振舞える、ということか。それなら「整形は自己肯定感を高める」は彼女にとっては正解なのかな、と納得できた。
そもそも自己肯定感って?
そもそも自己肯定感って、なんだろう?と調べてみると、コレが低いと「自分は何をやってもダメな人間だ」「どうせ無理」「友だちの誰よりも劣っている」と、自分の価値を見出せず辛い日々を送ることになる、と書かれているサイトや雑誌をいくつか目にした。
じゃあ、高くなったら「自分は何でもデキる人間だ」「絶対に成功する」「友だちの誰より優れている」と信じることができるということ?いやそれはちょっと違うか…。
自己受容でいいんじゃない?
そんなに自分を肯定し続けていたら、自信満々になりすぎて、周りの人を見下すような…感じの悪い人になりやしないか?と少し心配。むしろ、肯定を強力にするより「自己受容」というスタイルはどうだろう?つまりは自分を、許す、認める、受け入れる、というわけ。
普段はできるだけ隠している自分の“難”は誰しもあるもの。例えば「実はちょっと腹黒キャラ」だったり、「いつも同じ失敗をする」ところや、「変なこだわりから抜けれられず、堂々巡りをする」癖も、全部「そうなのよね、私ってこういうトコあるのよね」と、肯定も否定も敢えて積極的にはせず、ただ認めて許して受け流してみる、そして誰とも比べない。
自分との付き合い方?のコツとして、認めたり、許したり、受け流すことがうまくなろう。その方がきっと楽。そう、もっと自分を推していこう。愛してみよう。
「こういうトコあんのよね」
大昔、ちょっと困った癖のあるメンズと付き合っていた時、年上の女子友だちの家に泊まりに行って話を聞いてもらった。友だちは「う~ん、世間や両親が見てそいつがどうのではなくて、あんたが『この人、こういうトコあるのよね』と受け流しながら付き合って行けそうなら、続ければいいんじゃない?」と言った。
それが彼の全てではないし、他にいいところがあっても他人にはわからない、あなたが良ければいいのよ、と彼女は説いてくれた。とてもシンプルな思考を与えてもらい、救われた気もしたが、結果的に私は彼と別れた。「こういうトコ」を、彼の一部として認めたり、許したり、受け流すことができなかったのだ。
逃れられない自分
他人なら付き合いをやめたり、距離を取ったりもできるが、自分の中に受け流せない部分を見つけてしまうとこれは不幸。別れたり距離を取ることはできず、いつもいっしょ。だったら評価をするよりも断然「私ってこういうトコあるのよね」と、腹黒も同じ失敗も変なこだわりも「ははは」と流していけばいい。
もちろん「だめだめ」と律することも時には大切だが、事あるごとにピピピッ!と片側にいる自分に警笛を鳴らされていては、しんどくて仕方がない。そんなに自分を俯瞰して見なくていい。そんなに遠くも見なくていい、誰とも比べなくていい。ただ幸せになるために、自分を推していければいい。