地震大国ニッポン
災害が絶えない日本。今年も元旦から大きな地震が能登半島を襲い、大変な被害を受けました。ご家族を亡くされた遺族の方々の悲しみはまだまだ癒えないことと思います。また、未だに生活に不自由を抱えておられる方がたくさんおられるということも忘れてはいけません。
「整列」ができる日本人
ところで、被災地の状況が報道されるたびに「日本人の民度」が高いという話題が出ます。生死をさまよう凄まじい体験をした直後なのに、整列して給水や炊き出しの食事を受け取る姿が外国人には驚きの光景として紹介されているようです。
教育ぅ?国民性ぃ?
で…テレビのコメンテーターが「日本の教育」とか「日本人の真面目な国民性」とかが、この整列を生み出しているかのように言うことに、阪神大震災の頃から大きな疑問を持っていました。
「教育?1年生になる前に整列くらいできるわ。」「真面目?性格なんか人それぞれやろ?」と。
パパママが公園で教えていること
いえね…何が言いたいかというと…
この国に育った人々が、非常時でもわれ先にと食べ物や水を奪い合うような暴動にはならず、「どうぞ」「お先に」「ありがとう」を自然に口にしてふるまえるのは「パパママの公園育児の賜物」だと、私は長年思っているからなんです。
知らない人と触れ合う最初の場所
もちろん、幼稚園や保育園、小学校でも「順番」「自分勝手なことをしない」とかは習うけど、それよりももっと前、歩けるようになったら、日本のパパママは公園に子どもの手を引いて連れて行き、そこで他人との触れあうときのごくごく基本的なマナーについて、実に的確に教えている!
これこそが「世界が驚く被災地での整列」に繋がっていると思っています。
かして、いれて、じゅんばん
例えば、滑り台の順番を守る、逆から登っていかない、誰かがじっと自分のミニカーを見ていたら「どうぞ」と貸してあげる、砂場でスコップを貸して欲しい時は黙って触らずに「貸して」と言う、かくれんぼの仲間に入れて欲しい時は「いれて」と声をかける…そんな基本の「き」を教えているのは、なにも教育の場だけではなく、公園のパパママですよね?
人とのかかわりを学ぶ公園
なんていう話を20年ほど前、子育てサークルを取材して回っていた時に若いパパママたちにすると、パァッ!と笑顔になる瞬間を何度も目の当たりにしました。
そう、日本の民度を支えているのは公園やサークルで人との関わり方を教えているパパママなのに、当事者たちは誰も気づいていないんです。
日本の民度を支える誇りを持って
もう私自身の子どもは28歳と24歳になってしまったので、残念ながら公園に行ったり若いパパママと触れ合う機会もなくなってしまいましたが、スマホやタブレットもたまにはいいけど、公園での「どうぞ!」「ありがとう!」「順番!」が、日本人の当たり前を作っているという、誇りを持って欲しいです。
ちょっと怖い?ママヒエラルキー
ちょっと前?には公園にはママたちのヒエラルキーがあって、話題や服装を考えると、色々面倒だという話もありましたが…そんなに頻繁でなくても、週イチでも月3回でも…もちろんパパだけでもOKだし、気楽にできる範囲でいいんじゃないかな。
パパママたちの頑張り!は尊い
子育て、人を育てるって大変なことだけど、人生における大切な任務なのかもしれません。子どもを持つこと、持たないことはもちろん選べた方がいいし、結婚だって自由だとは思うけれど、子育てをするとなったら、前向きに覚悟を決めて「やってやろうじゃん!」と腕まくりして、パパママが頑張ってきたからこそ、今の世の中があるんだと思います。
育児中のパパママに感謝!
とにかく…
教育とか国民性とか、そんな風に偉い人達が大雑把にくくっちゃうコトにとっても違和感を感じます。
「いやいやみんな頑張ってるやん!若いパパママたちのおかげやねんで!なんもわかっとらんな!」と思うわけです。もしかすると、そんなことに関わってきていない人が勝手に喋っているから気が付かないのかもしれません。それはそれで問題だな…と思っちゃいますけどね。