娘が10歳になり感じること
今月、娘が10歳の誕生日を迎えた。
10歳。これからは年齢が2桁になる。毎年、娘が歳を重ねていくたびに感慨深い気持ちになるけれど、年齢が2桁になる今年は、より一層記念すべきお誕生日だ。
娘が10歳ということは、私も母になり10年ということだ。でも、お腹にいるとわかったあの日から身も心もすっかり母だった私の母歴は、娘の年齢よりもう少し長いなといつも思っている。
2460gで生まれた娘は、私がそれまで見た赤ちゃんの中でも特別小さい赤ちゃんとして生まれてきた。
主治医の先生が取り上げながら、「あれ? 小さいな。最後の検診で見たよりずいぶん小さいな」と言ったのを覚えている。
水通ししていた新生児サイズの服を娘に着せると、服に埋もれてどこにいるかわからないくらい小さかった。慌てて、低体重児用の肌着という40cmサイズのベビー服をネットで購入したのだけど、届いた服を見て、「世の中にこんなに小さなベビー服が存在していたの?」と驚いた。
そんな娘が今月、大きな病気やケガをすることもなく10歳になった。
母が毎年くれたお誕生日のメッセージ
私の母は、毎年誕生日に、「あの日から〇年。今でも生まれてきた瞬間のことを昨日のことのように思い出します」という文面の手紙やメールをくれる。それは子どもの頃からずっと変わらない。
中学3年の誕生日は修学旅行の初日だった。あの日の私は、学校のみんなと電車に乗って旅行に行くということに興奮しすぎて誕生日のことをすっかり忘れていた。
広島に向かう電車の中で、持参したお弁当を食べる時間になった。興奮気味のみんなと、向かい会わせにした座席で各々にお弁当を開く。
お弁当を包むハンカチを開くと、そこに小さく折り畳まれた手紙が入っていた。
「お誕生日おめでとう。あの日から15年の今日は修学旅行だね。そんなに大きくなったのかとびっくりします。楽しんできてね」
確か、そんなことが書かれていた。
修学旅行で頭がいっぱいだった私は、その手紙を見て15歳の誕生日だということを思い出し、そして思いがけない母からのサプライズにボロボロと泣いてしまった。
まわりの友人たちはびっくり。これまで45回、母からお誕生日を祝ってもらっているけど、あの15歳の誕生日はすごく印象に残っている。
きっとそれは、初めて母と別々に過ごす誕生日だったからだろう。
受け継がれていく娘への想い
噂には聞いたことがある「2分の1成人式」というイベント。
今は、18歳で成人となるので、「2分の1」というのがわかりにくくなったからか、娘が通う学校では、「10歳の記念式」という名に変わり開催される。
親になる前、友人の子どもの学校行事にそういうものがあると聞き、「なんでもイベントにしちゃうのね」なんて冷めた感想を抱いていたけど、いざ自分が親になったら、「10歳の記念式」というワードだけで涙腺が緩む。
「谷川俊太郎さんの「生きる」っていう詩を朗読するんだよ」と、娘。
え、そんなの泣いちゃうんだけど……。
すでに、その話を聞いた時点で涙がこぼれてしまう。
私は、人よりずいぶん泣き虫な母親なので、娘を見ているだけで涙が溢れてくる感受性が豊かすぎるお母さんを自負している。娘と夫は慣れたもので、「あ、また泣いてる」という顔をするだけ。
来月開催されるその会でも、他の保護者がドン引きするほど泣いてしまう自分が容易に想像できるので、できるだけ涙を堪えようと思っている。
その会に向けて、学校から「お子さんへのサプライズの手紙」のお願いと言って便箋が配られた。
夫と私で半分ずつ埋めようねと話し、娘に宛てた手紙を書いた。
「あの日から10年。あんなに小さかった赤ちゃんが、こんなに大きくなったなんてびっくりです……」
無意識に。本当に無意識に、母からもらい続けてきた文面と同じ手紙を書いていた。
しっかり刻み込まれた母からのメッセージ。私もこの文面で娘の誕生日を祝うようになったのかぁ。娘の愛し方まで受け継いじゃってるわ。
10歳になった娘と、10歳の娘の母になった私。
娘が大人になったとき、一番印象に残る誕生日は何歳のときになるんだろうな。