10代で受けたカウンセリングのトラウマ
カウンセリングを受けたことがあるという人はどのくらいいるだろうか。
私は、高校生のときに拒食症になり、しばらく大学病院でカウンセリングを受けていたことがある。
カウンセラーの先生が質問することにポツポツと答える。何のための質問なんだろうか? と思うようなやりとりを毎回1時間ほどする。
カウンセリングの内容はほとんどは覚えていないけど、何年経っても忘れられないやりとりがひとつだけある。カウンセラ―の先生がある時、「あなたは、お父さんがいないということに後ろめたさがあったり、寂しさがあったりするんですね」と言った。
「全然違います」。カッとなったのを覚えている。「この人、何言ってるんだろう。私、お父さんの話なんてしてないのに。なんて的外れなことを言ってるんだろう。こんなに話してきたのに時間の無駄だったな」
その日を最後に、カウンセリングに通うことをやめた。
拒食症は気づいたら治っていた。20代になってからは、食べたいときにちゃんと食べたいものを食べるようになったし、46歳の今は、おいしいものばかり食べ過ぎて、人生最高体重を記録中だ。
メンタルボロボロの20代の私を救ったのは……
20代の私は、会社員として働く中でメンタルをやられていなかった時期のほうが少なかった。円形ハゲは年に数回。常に不眠症。パニック障害に過敏性腸症候群。
会社に行くために電車に乗ると呼吸ができなくなる。仕方がないのでタクシーで通勤。往復タクシーでの通勤で、お給料のほとんどが消えた。働くためにタクシーに乗り、タクシーに乗るために働くみたいな生活が長く続いた。
今、目の前にあの当時の自分がいたら、伝えたい事が山ほどあるし、とにかく彼女の話を何時間でも聞いてあげたいと思う。
あの頃の私に圧倒的に足りていなかったのは、自分に起きていることを誰かにアウトプットして整理するということだったように思うから。
カウンセリングにはトラウマがあったので、その選択肢はなかった。精神安定剤が常に私のお守りだった。
「常に病んでいる女」というイメージを継続したまま会社員を続けていた私が、少しづつそれらの症状を和らげていけた理由は、話を聞いてくれる人が増えたからだったように思う。
年齢を重ねたことにで、「意地を張るのをやめた」というのもあるし、「このままでいいのか? 私」という気持ちが強くなったタイミングと、幸運にも周りの人に恵まれているという環境に身を置いていたことが私を救った。
ポジティブに生きるために弱い部分をアウトプットする
30代になった私は、「今、私は辛いです」ということを素直に言えるようになった。そうすると、「どうしたの?」と聞いてくれる人がいて、「私は今、こういう理由で辛いの」と話せて、「それは辛いね」と受け止めてもらえる。
解決方法を教えてもらいたいとか、適格なアドバイスがほしいとかではない。
重い荷物を抱えきれないとき、どうやってその荷物を持ち続けるかを考えてきたけど、「そんなの1人で持てるわけないじゃん。半分持ってあげるよ」と言ってくれる人がいることや、そもそも「無理に持たなくてもいい」ということは、早めに知っておきたかったことだった。
弱いのに強がって生きていても良いことなんてひとつもない。
そういうことを知った私は30代後半になり、コーチングやセッションをよく受けるようになった。自分の中にあるものを整理するために。本当は持てないはずの荷物を、気づかぬうちに頑張って背負っていないかを確認するために。
それを続けた結果、毎週ただただポジティブなことばかりをコラムに書き綴る私が完成した。
10代のときに受けたカウンセリング。あの時の私は、的外れだとカッとなり通うのをやめたけど、今になれば、あの先生が言ったことはたしかに私の心の中のしこりとなっているものだったとわかる。
見て見ぬふりをしてきたものを、「見てみて」と無理やり目の前に突き付けられた。あの時の私が感じた怒りはこれだった。でも、その見て見ぬふりをしているところに、実は大切なものが隠れていることはよくある。
「お父さんのこと」という言葉に過剰に反応したけど、そのことで私の中の開かずの扉が開いたのだと思う。だから、拒食症の症状は治まったのだ。
日本では、カウンセリングを受けるというのはまだまだハードルが高いイメージがあるけど、私は、美容院やネイルサロンに行くような感覚でカウンセリングに通えるようになると、生きにくさを感じている人が減るのではないかと思っている。
カウンセリングの敷居が高く感じるのであれば、コーチングでも良いし、ヒプノセラピーでも良いし、私がやっている潜在意識インタビューでも良い。
1人で踏ん張り続けるには限界がある。人はそんなに強くない。自分の弱い部分を、ポジティブに生きるためにアウトプットする。これができるようになると、人生は大きく変わるから。