努力した先にある人生
私は、「ずるい」という言葉が苦手だ。
自分以外の人の人生を「いいなぁ」と思うことはあるが、それを妬んだり、ましてや「ずるい」と思うのは違うと思っている。
私のまわりには素敵な人生を送っている人がたくさんいる。そういう人を見て、「素敵だなぁ」と思うし、ときには「いいなぁ」と思うこともある。
でも、その人たちがその人生を送るためにどれだけの努力をしてきたかも知っている。彼らは決して「選ばれし者」ではない。
例えば今、目の前に羨ましいと思う生き方をしている人がいたとする。
その人が手にしているのは、ある日突然神様に選ばれて、「君の順番だよ」と手渡された幸せだったり、朝ポストを開けたら届いていた幸せではない。
自分の人生をより良くするために努力した結果の人生を生きているだけだ。でも、人はそういう努力の部分までを見ることなく、手にしているものだけを見がち。
そうすると、「ずるい」という気持ちになってしまう人もいるのかもしれない。
私は、他者の幸せを肯定できる人はその努力をしている人だと思う。努力をした先に、自分が望む人生が手に入るということを知っている人は、他者を否定したり、批判したりしない。
自分の人生を幸せにできるのは自分だけ
こう書いているのは、他者の人生を批判する人のことを否定したり批判したいからではない。批判や否定をしてしまう人には、そうしてしまう理由がきっとあって、そのことに苦しんでいたりするのも知っている。
ただ、努力した先に得た人生を人から批判されたり、「ずるい」なんて言葉を投げられたりしている人には、「そんな言葉は気にしなくてOK!」と伝えたい。
「これだけ頑張ってきた」と自分が思えるなら、それで得たものは堂々と持っていたら良いし、その人生を胸張って生きて良い。
この時代、他者からの指摘にばかり意識が行き過ぎて、努力の結果得たものを大切にしたり、愛でたりする余裕をなくしている人が多いように思う。
自分の人生を幸せにできるのは、自分だけ。もちろん、誰かによってもたらされる幸せはあるけど、芯の部分は自分で築くしかない。
だから、自分が頑張って手に入れたものは、「私が頑張ったから手に入れたんだよ」と思って良いし、そうできた自分を「えらい!」「よく頑張った!」「さすが私!」って思ってほしい。
そう思っていたら、どこからか心無い言葉が飛んできて、自己を肯定する気持ちをポキっと折られたりする。
でも、そういうことをする人は、自分だけ置いて行かれるのがいやなだけだから、その言葉に自分の軸を左右される必要はない。
自分の人生に集中して生きる
「自分は人からどう見られているんだろう」
「嫌われないためにはどうしたらいいんだろう」
そんなことばかりを気にして生きていた20代。悩めば悩むほど自己肯定感は落ちていったけど、自分が気にしているほど人は私のことなど気にしていなかった。
「あなたってこうだよね」「こういうところ直したほうがいいよ」
そんなことを言われて夢に見るほど悩んだのに、言った本人は1年後にはその発言自体を忘れていたりする。
そんなものなのだ。
だからこそ、第3者の意見に振り回されることなく、自分自身が感じることを素直に自分の中に受け入れて、自分を褒めて、認めていけるように生きるのが一番。
自分の人生に集中すると他者の生き方は気にならない。誰かがとっても素敵な人生を生きていたら、「素敵~! 私もそうなれるように頑張る!」と思える。
「あ、ずるい。あの人ばかりずるい!」という気持ちが自分の中に生まれてきたら、それは今、自分の人生を疎かに生きているということなのかもしれない。
人の人生を羨んだところで、それが手に入るわけではない。そういう人生を望むなら、自分の人生の中でできる努力をするだけなのだ。
自分以外の気持ちをコントロールすることはできない。けど、自分の人生は自分次第でどんな風にも変化させられるのだから。