ゼロイチの仕事に対してのプライド
ライターをはじめて3、4年経った頃の話。
どの編集部でも、ライターが書いた記事は、編集さんが誤字や文章のゆらぎを修正してくれる。
当時記事を書いていた編集部では、ライターと編集がペアを組んで記事を仕上げていくという流れができていた。
私とペアになった編集さんは、大学を出たばかりの女の子だったけど、在学時代から本を出版するほど書く才能がある人だった。それは、ずっと後になって知ったことだけど。
書いた記事を編集さんに送ると、赤入れされた原稿が戻ってくる。それを修正したり、また戻されたりというやり取りをしながら記事を完成させていく。
ペアを組んだのは編集長で、彼から、「こういう人だよ」という話を聞いただけで、顔も合わせたことがない関係だった。
ゼロイチで作り上げる記事には、こだわりやプライドがある。旬のネタについて書いた記事は一瞬で消費されていくけども、「自分が書くならば!」という気持ちはどんな記事にも当然ある。技術うんぬんではなく、署名を入れて世に出す文章を書いているプライドを持って書いているし、それがプロ意識だと思っている。
ペアを組んだ編集さんが好きになれない……
ペアを組んだ顔も知らない編集さんは、私が書く記事にとにかく赤を入れて返してきた。
誤字やゆらぎでの部分だけではなく、私がその記事で言いたいことをごっそり「トルツメ(削除し、空いた部分を詰める)」と指示してきた。
「どういうつもりでこの部分を消せというの?」と腹が立ち、「この部分はママ(そのまま)で!」とだけ返すようなやり取りを繰り返した。
そのうち、入稿した記事に編集が入ったものがメールで届くと、ストレスを感じるようになり、すぐにそのメールを開くことができなくなった。
「また納得できない赤が入っているかもしれない」と思うと、「この仕事を辞めたい」「私はライターが向いていないのかも……」という気持ちになってストレスフルな日々が続いた。
友人たちに、会ったことのない編集さんの愚痴を聞いてもらう。
「すごく性格が悪いの」「意味のない赤を入れられるの」「私のほうが年上なのに」。
人はこういうとき必ず犠牲者意識になる。そして、「こんな私はかわいそう」という気持ちから、どんどん愚痴が溢れてくるし、それを正当化していく。だんだん、それ関係ないじゃんみたいな悪口まで出てくる。
私はそのとき30代後半で、一児の母という立場。子どもを育てる立場の自分が、こんな人間でいて良いわけがないと思い、編集さんにメールを送った。
あなたを嫌うには、あなたのことを知らなすぎる
「私は、〇〇さんのことが好きではないです。……ごめんなさい。正直、嫌いという気持ちが強いです。確認された記事が添付されたメールを開くのが怖いし、それを開くと〇〇さんに対して負の感情ばかりが溢れてきます。
なので、ペアを解消してほしいと編集部に伝えようと思ったけど、よく考えたら、私は〇〇さんのことを何も知りません。今、私が知っているのは、「私の記事に赤ばかり入れてくる編集さん」ということだけ。
〇〇さんが、どうして編集という仕事をしているのか、どういう想いを持ってこの仕事をしているのか、どんな食べ物が好きなのか……。そういう〇〇さん自身の情報はほぼゼロです。
「あなたのことが嫌いです」と言うには、私はあなたのことを知らなすぎます。それに、〇〇さんにも私のことをちゃんと知ってほしいです。なので、お茶しませんか?」
こんなメールを送ったら、彼女から「ぜひ」という返事がきた。「伊勢丹の地下にあるカフェで食べられるチョコレートケーキが好きです」という言葉と共に。
お互いを知ることで生まれたリスペクト
彼女がおすすめしてくれたチョコレートケーキを食べながら、お互いの話をした。
彼女が編集の仕事をしている経緯、私がライターになった経緯。
どういう想いで記事を書いているか、その記事を読んだ人達の心に何を伝えたいと思っているか。そんな話をしていたら、突然彼女が泣きだした。
「私は今まで、kahoさんが想いを伝える部分に全部赤を入れしていました。ちゃんと意味があることだったのに、それを私は消しちゃってました」と。
それは仕方がない。だって、私がどんな想いで書いているかを彼女は知らなかったし、知る機会もなかったのだから。そして、私は彼女がどんな想いで編集をしているかも知らなかった。
修正を入れられることにばかり腹を立ててきたけど、人が書いたものに修正を入れるってすごくパワーを使うことだということを、私はそれまで考えたことがなかった。
お互いにいろいろと募らせた気持ちがあったけど、お互いの人間性を知ると、全てが納得できた。「それは大事にしなくてはいけないこと」だということがわかるものばかりだった。
彼女はその後編集部を離れてしまったので、私とのペアは解消になった。けど、今でも連絡を取ってお互いの近況報告をする。
彼女は言う。「あのメールをもらったとき、正直めちゃくちゃびっくりしたけど、あのメールをもらって二人でお茶をしたおかげで、その人のことをちゃんと知るということの大切さを体験できたし、一緒に仕事をする人に対してのリスペクトは絶対に忘れてはいけないということを知ることができた」と。
知ろうとすると見えてくるのは……
人は、自分の仕事や与えられたことを必死にこなす中で、大事なことをついつい忘れちゃったりする。
それだけ一生懸命ってことだけど、自分だけで完結しないことに携わっているときには、共に動いている人のことをちゃんと知って、理解することを頭の片隅に置いておくことを意識してみてほしい。そうすれば、最後はみんながちゃんと笑えるようになるんじゃないかな。
理想論だと言う人もいるかもしれないけど、ちゃんと知っても「嫌いだわ」と思う人ってなかなかいないから。ちゃんと知ろうと思ったら、良いところがたくさん見えてくるから。
中には、知れば知るほど……という人もいるけど、知って、知って、知り尽くしても嫌いならそれでいい。
ただ、相手を「知る」努力をしない生き方は、人生をとてもつまらないものにしちゃうんじゃないかな。