私の弟は、日本一のシスコン
私には、1歳年下の弟がいる。
地元で会社をやっているバツイチ独身。そして、自他ともに認める日本一のシスコンだ。
私の誕生日を祝いに東京に来る。コロナ禍はさすがに来なかったけど、振り返ってみると結構な頻度で私の誕生日には東京に来ている。
「どうしてそんなに姉ちゃんと仲が良いの?」と、友人に聞かれることがあるらしい。
なんて答えるのかを聞いたら、弟は照れることなくこう言った。
「今の俺がいるのは、姉ちゃんのおかげだから。俺を育ててくれたのは姉ちゃんだから。俺にとっての母の味は、姉ちゃんが作るごはんだし、あのとき、こういうことしてくれたなぁと思いだすのは全部姉ちゃんがやってくれたことだから」と。
姉弟二人で過ごした幼少期の夜
うちは母子家庭。母は女手ひとつで私たちを育ててくれた。私たちが小さい頃からいろいろな仕事をしていたが、私が小学校2年、弟が1年生の頃は、飲み屋を経営していた。
母は、夕方になると家を出る。帰ってくるのは日付が変わった後。
私と弟は、母が出かけた後2人でお留守番をする生活だった。それは、私が高校2年生まで続いた。
夕飯を作り、弟と食べる。一緒にお風呂に入り、学校の準備をしたら子ども部屋の二段ベッで寝る。私が上、弟が下の段だった。
学年が上がり、一人一人でお風呂に入るようになるのだけど、一人でお風呂に入るのは怖いので待っている方はお風呂の前で漫画を読んで待っていた。
「いる?」「いるよ~」。シャンプーをして目が開けられないとき、私はよく扉の前の弟に話しかけた。
あの頃を思い出して文章にすると涙が出てくる。「当たり前だ」と思って過ごしていたことだけど、あの頃の私たちは、2人で力を合わせて、母がいない寂しくて怖い夜をなんとかなんとかやり過ごしていたことが、今になってやっとわかってきたから。
母は、私たちを育てるために一生懸命だった。生活をしていくために夜遅くまで働いてくれた。だから、あの時の母に、「寂しい」とか、「家にいてほしい」と言うことはできなかった。
だから私は、家の中で小さなお母さんをすることが自分に与えられた役割だと理解していた。
弟のインナーチャイルドを癒したい
私はいま、「潜在意識インタビュアー」として、心の奥深くにある“本当の気持ち”と向き合う仕事をしている。
この仕事を選んだきっかけのひとつは、まぎれもなく自分自身のインナーチャイルドを癒した経験だ。
以前、その経験をコラムにも書いたことがある。
親となり、娘を育てる中で、どうしてもぶつかる“自分のクセ”。
怒り、悲しみ、不安……。
その根っこをたどっていくと、子ども時代の私がずっと感じていた「誰にも頼れない」という想いがあった。
自分の中のインナーチャイルドを見つけ、抱きしめるように癒していった日々。それは、過去を責めることではなく、「あのときよくがんばったね」と自分に声をかける旅だった。
弟は、幼少期の話をするたびに私のことを褒めてくれる。そして、母に対しての怒りを口にする。
「母さんは、母さんらしいことを何もしてくれなかった。それをすべて姉ちゃんがやってくれた」と。
弟の中のインナーチャイルドは、まだ深く傷ついたままそこにいる。私にはそれがわかる。
けれど、人が自分の内なる子どもと向き合うには、その人だけの“タイミング”がある。それは、誰かに強制されるものではなく、ふとした瞬間に訪れる。
彼にも、きっとそのときがくる。
私たちの母は、他の家のお母さんとは違ったけど愛情深い人だ。一緒にいる時間は少なかったけど、「愛されていない」と感じたことは一度もない。
その事実を、弟にも思い出してほしい。たとえ“母親らしい”形ではなかったとしても、あのとき母は、命がけで私たちを守ってくれていた。
「愛されていたんだ」と思えることが、どれだけ自分を肯定できる力になるか。私自身が、それを体験したからこそ思う。
弟の中にいる“怒りを抱えた子ども”が、いつかそっと微笑み、「あのとき、僕もがんばってたよね」と言える日がくることを願っている。
彼が“日本一のシスコン”であることを、私は誇りに思っている。その裏にある、小さな心の痛みも、ちゃんとわかっている。