オリンピック選手に対しての誹謗中傷
パリオリンピック開催期間。今回は、時差の関係もあり、あまりリアルタイムで視聴することができていない。やはり結果は気になるので、朝起きるとスマホを開き、SNSやニュースサイトでオリンピックの結果をチェックする。
3年前の東京オリンピックのときもこうだっただろうか……。
結果が知りたくてスマホを開くと、結果よりも先に誹謗中傷が目に入る。もちろん、選手の健闘を称える人たちの声もたくさんある。けど、それ以上に今回のオリンピックは、選手に対してのリスペクトがない言葉を目にすることが多い。
ニュースサイトでは、結果に対してこのような声があるという記事や、テレビのコメンテーターがこう言ったとか、タレントの誰かがラジオでこう話したというニュースばかりが並ぶ。
日本を代表する選手たちにリスペクトを
4年に一度開催されるオリンピック。選手たちが、時間をかけて築き上げてきたことの成果を見せてくれる舞台。日本を代表してあの場所に挑む選手たちは、誰もがメダルを目標にその日を迎えている。
手を抜くとか、諦めるなんてことは一切なく、持っている以上の力を発揮するため、あの場所に立つまで練習を重ね、プレッシャーと戦い続けてきたはず。
ひとつのスポーツを極め、日本を代表する選手となり、世界の舞台で戦う。
とてもじゃないけど、私にはマネできない。
普段から関心や興味を持っていなくても、オリンピックという機会で知ることができる競技がある。そして、活躍する選手について知ることができる。
結果がどうであっても、オリンピックという舞台に日本を代表して立ち、世界から集まったトップを極めた選手たちと肩を並べて戦う姿にはリスペクトしかない。
あの場所に立つということだけで、本当に素晴らしく尊いことだと思う。
自分の中にある”傷”を自覚する
誹謗中傷の言葉を投げられる選手のことを思うと、胸が痛む。それ以上に、選手たちの健闘を見ていながら、その結果について誹謗中傷の言葉が出てくる人、その言葉をぶつけてしまえる人たちのことを思うと心が苦しくなる。
そうしてしまう理由がその人の中にあるということを考えるから。
そんな言葉を人にぶつけてしまうのは、心の中に大きな、大きな傷を持っているからかもしれない。私は、人が他者を攻撃するのは、「自分がこんなにつらいのだから、みんなも同じように傷つけばいい」という間違った自己防衛機能が働くときだと思っている。
他者を攻撃している間は、自分の傷の痛みを忘れることができるのかもしれない。でも、それは何の解決にもならない。さらに自分の傷を自分でえぐり、自分以外の人のことまで傷つけながら生きていくことになる。
人生は一度きりなのに、間違ったことにパワーと時間を使って生きるなんてもったいない!
「オリンピックのような舞台で活躍する人は、きっといろんなことに恵まれているはず。そんなのはずるい」
自分が生きられない(と決めつけている)人生を生きている人を見ると、うらやましいと感じてしまう。それ故、その人が完璧ではないという部分を見ると、その部分を必要以上に攻撃する。
でも、そんなことをして得られるものといったら、さらに深くなった自分の中の傷と虚しさだけ。
誰かに対して、心ない感情や言葉が自分の中から出てくるという人は、まず、自分の中に傷ついている部分がないかを探ってみてほしい。
もし傷があると認識できた場合、その傷は誰かを責めて癒されるものではないので、自分の傷を癒すことに目を向けてみてほしい。
自分のために、この人生をより良くするためにするべきことはなにか。一人で癒す自信がなかったら、誰かに助けを求めてもいい。
傷跡まできれいさっぱり消すなんてことはできなくても、治そうと努力をして薄くなった傷は、必ず人生を変えてくれる。
誰もが傷を抱えて生きている。ただ、幸せそうに見える人は、その傷を自分の人生のために癒す努力をしてきた人たちで、自らの力で古傷に変えてきた人たちだから。