”自分を大切”にしたことで起きた弊害
”自分を大切にする”ということの意味を知り、本当の意味で”自分を大切にする生き方”を、慣れないながらも手探りでやりはじめてみたら、想像もしていなかった弊害が起きた。
このコラムで何度も書いてきた通り、私は夫が大好きだ。出会ってから23年ほど経つが、「今が一番好き!」を常に更新し続けているし、「この人がいないと生きられない」と、本気で思っている。
けど、”自分のことを本当に大切に生きてみよう”を実践したら、ある時ふと、「あれ?」と思う瞬間があった。
「私、夫のことは好きだけど、その好きは、けっこういろんなことに目を瞑った上での好きかもしれない……」
正直、これに気づいたとき、心臓がドキドキした。
「やばい。私、なんだかとんでもないことに気づいてしまったかもしれない」というドキドキだ。
ちょっとスピリチュアルっぽい話をすると、今年の私は、魂の昇格試験を受けているような感覚がある。本当にいろんなことから気づきと学びを得て、ものすごい勢いで変容している。
そして、ここに来て、揺らぐはずがないと信じ込んでいた夫への気持ちに対しての揺らぎ!
「た、試されている……」
そう思った。
目を背けてきたものに光が当たる
夫のこういうところが実はいやだ! 改善してほしい! もっと、こうしてほしい!
気づいてしまったが最後、止めたくても止まらない。驚くほどに溢れ出てくる。
「ど、どうしよう……」
すんごく戸惑った。戸惑いすぎて、なんでも話せる友人にそのことを話した。彼女は、「うん。うん」と聞いた後、こう言った。
「この話を聞いて、本当にkahoが変わったというか、動き出してるんだということを実感したかも。これまで、kahoからパパの悪いところを1回も聞いたことなかったから」
この言葉を聞いて、「そうだ。夫のことを嫌いになったとかじゃない。ただ、自分を大切にするにあたり、「これはもう、目を瞑っておけないことだから解決してね」という課題が出てきただけだ」と理解した。
別々の場所で生まれ育った他人同士が夫婦になって、生活を共にしながら家族として暮らし続ける。例え運命の相手だろうと、毎日がただただハッピーに過ぎていくなんて奇跡はない。
夫婦仲良く、家族円満に暮らしていくために必要なのは、「より良い関係を続けていこう」という共通認識と、そのための互いの努力! これに尽きるのだ。
「困らせたくない、嫌われたくない、無駄な争いはしたくない。私はそれを我慢できるし、それで夫婦として平和なら、それが一番!」
これまでの私はこういう気持ちでいた。
大切なものを守るためだからと、自分を犠牲にしてきた。別に私ばかりが我慢してきたわけじゃない。夫婦は鏡なのだから、夫だって我慢していることはたくさんあるだろう。
でも、一見平和を保つために見えるこの行動や思考は、自分の気持ちを抑え込んで、臭いものに蓋をした状態のまま私の中に溜まりまくっていた。THE・不健全!
溜め込んだものはいつか必ず爆発する。私の場合は、爆発という形ではなく、”自分を大切にする”という意識がキャパシティを超えた箱の蓋を開き、その存在から目を背けられなくなったという表現が正しいかもしれない。
平和と我慢は違う
私は、溢れ出てきた気持ちを夫に伝えた。話し合いという形をとると、夫はきっと、「なんだ? 俺、怒られるの?」みたいな顔をする。ケンカをしたいわけでも、文句を言いたいわけでもなくて、「良くするための話し合い」でも、夫のその顔を見ちゃうと悲しくなって何も言えなくなる。
だからまずはLINEに送った。今感じていること。求めていること、その理由。
まぁ、結局のところ私が夫に求めているのは、「私のことが好きだってことを、もっと表現してほしい!」と言うことに集約されるわけなんだけど。
「そういうキャラじゃない。とか、もう歳だからとか言うけど、そんな謎のプライドで大事なものを失うのは愚かじゃない?」
書いていたら、私ただのめんどくさい嫁じゃん……と思えてきたけど、そうじゃない。
私は、自分を大切にして、大好きな夫とお互いにとってよりよい関係を築いていきたいからこそ、このことを伝えた。
”自分を大切にする”というのは、相手を疑ったり愛を壊すことではない。むしろ、関係を健全に保つための試練を見せてくれること。
潜在意識はこう伝えている気がする。
「愛している人だからこそ、正直に言っていい」
「一緒に努力するからこそ、未来を乗り越えていける」
私の”自分を大切にする”は、まだまだ手探りだけど、今回の気づきと行動で私たち夫婦の愛と絆はきっと深くなったと思う。
ちなみに夫からは、「失いたくないから、がんばる!」という返事をもらい、私は今年1番のニヤケ顔になった。