”死”に対して感じていた漠然とした不安
2年ほど前、インスタグラムで見つけた「生きるを整える-死を体験するWSとクレイ-」というワークショップに参加した。
最初に“死を体験する”という言葉を見たときの感想は、「怖い」。
死を体験するって何!? 世の中にはいろんなワークショップがあるんだなぁと思いながら、1回目の開催の申し込みは見送ることに。
でも、その後も死を体験するワークショップのことが気になり続け、2回目の開催を知ったタイミングで迷うことなく申し込みを。
どんなイベントかもいまいちわかっていないし、会ったこともない人たちと一緒に死を体験するって……。ドキドキ。
私は、物心ついたころからやたらと「死」というものを意識しながら生きてきたように思う。20代の頃は、“死ぬ”ことを想像しては、不安と恐怖に襲われていた。
そんな私を見た友人のお母さんから、「kahoは、生きることに対しての執着が強いんだね」と言われたことがある。
その言葉を聞いて、「死」に対して感じていた漠然とした不安は、生きることへの執着だったのか! という気づきを得た私は、それから「死」というものへの恐怖心が薄れた。
人は、何に怯えているのかがはっきりすると、案外その不安や恐怖は消えるものだという経験をしたし、発した本人は覚えてもいないような一言で救われることがあるということを知った。
我が人生に悔いはなし! という旅立ち
私は、40歳を過ぎた頃から、「もしも今命が終わっても、私はきっとそれを受け入れられる」と思うことが増えた。
もちろんまだまだやりたいことがたくさんあるし生きるんだけど、自分の人生が好きだと思えるようになった頃から、そのときがいつ来ても悔いがない人生を生きていると思えるようになった。
私は、自分らしく生きている人生と家族、仕事を手にしていて、「幸せだな」と感じる瞬間が1日に1回はある。
なので、死を体験するワークショップでは、自分が想像していた通りの気持ちで旅立つシーンを見た。
「我が人生に悔いはなし! 全く未練なし! ありがとう。ありがとう。ありがとう」
私が横になるベッドの横にいる夫と娘に、そう伝えながら、私はちっとも悲しくなく旅立った。
「やっぱりね!」って言葉が出るほど想像通りだった。
今日という日は今日しかない
それでも、ワークショップを受ける前、私は「もっともっと……」という気持ちを持っていた。良い仕事をしたい、お金持ちになりたい、もっともっと幸せになりたい!
死を体験して、「こんなに素敵な人生を生きていながら、私はこれ以上何を望んでいるんだろう」という気持ちになった。
ワークショップを受けた夜、たまたま目に入った「アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜」という映画を見た。
過去にタイムトラベルできる青年の話。人生に失敗したら、過去に戻ってもう一度人生をやり直せるっていいなぁと思いながら見ていたのだけど、彼はさまざまな経験をして気づく。
「人は、誰もが人生をいう時間を旅している。そこでベストを尽くすしかない。その旅(人生)が素晴らしいものになるように」と。
そして、タイムトラベルをやめる。
私たちはタイムトラベルなんて能力はもっていない。今日という日は今日しかないし、過ぎてしまった時間はすべて過去になる。どんなに後悔してもやり直すことはできない。
人生は思っているよりずっと短い。生まれた瞬間から、人はみな死へ向かって生きている。
「いつか……」とか、「そのうち」なんて言っているうちに、あっという間に歳をとる。
「ありがとう」「うれしい」「幸せ」「好き」。
私が日頃、意識的に口にする言葉だけど、もっともっとこの言葉をたくさん発していこうと思った。そう思える瞬間がたくさんある人生を生きようと決めた。