成長を”さみしい”と感じる親心
娘の春休みがスタートした。4月からは6年生になる。早い! 早すぎる。
生まれてから11歳になるまでもあっという間だったと感じているけど、6年もあるはずの小学校生活がもう5年も過ぎてしまった。つまり、残すところあと1年。
この流れで行くと、中学の3年なんて瞬きしている間に終わるだろうし、それは高校も同じくだろう……。
2月に11歳になった娘だけど、成人になる18歳まで本当に一瞬で時間が過ぎていくんだろうなと考えると寂しさが溢れてくる。
成長を見るのはうれしく楽しいことだけど、がっつりとそばにいてべったりと離れないような時間はもう残り少ないのだ。
「成長していくことがさみしい」。
これは、親になって初めて知った感情だ。親になるまでは、成長して行くわが子を見て、「さみしい」と感じるなんて夢にも思っていなかった。
親になったことで知ったことがたくさんある。子どもが育つのと同じ時間をかけて、親も親として成長しているのだと思う。
親との時間より友達との時間
我が家は夫婦でフリーランスなので、仕事の調整さえできれば平日でも3人で出かけたり、過ごしたりする時間が多い。
夫婦2人の頃は、夕飯後に近所を1時間ほど散歩する習慣があった。娘ができてからも、3人でたくさん歩いている。
週末は、家族で1万5千歩ほど歩く。歩きながら、家族3人でいろいろな話をする。それが我が家の、”家族の過ごし方”だ。
いつの頃からか、金曜に学校から帰ってきたら、夕方少し前から3人で散歩に出かけるようになった。
私はこれを、「金曜の家族散歩」と呼んでいたのだけど、5年生の後半にもなると、「友達と遊ぶ約束をしたから」と言って断られることが増えた。月に1度行けたら良いほう。
「こうやって、親よりも友達と過ごす時間が大事になっていくんだねぇ。さみしいけど、成長してるってことだよねぇ」と、夫と話す。
むしろ、この歳になっても親との散歩に付き合ってくれていたことのほうがすごいことなのかもしれない。
親離れ、子離れをすこーしずつ意識しなくてはいけないタイミングにきているのだろう。
子育てで意識すること
私の潜在意識インタビューを受ける方の多くは、生きにくいと感じている原因を見ると必ず幼少期のトラウマが出てくる。
自分で認識しているものもあれば、「これがですか?」と、ご本人も驚くようなことが出てきたりする。
幼少期にできた傷は、その後の人生に大きく影響する。しかも、だいたいがネガティブに……。
そういう方をたくさん見ているし、自分自身も自分の中の傷ついた幼少期を癒してから子育てや生き方が少しづつ変わったことを考えると、親として日々の言動に間違いがないかということを強めに意識してしまう。
でも、子育てには白か黒というものはないし、正解も不正解もない。だからこそ難しいのだけど。
正しいか正しくないかということで自分の子育てをジャッジすると、結果として誰も幸せにならない。
それよりも、今日、我が子とどのくらいハグができたか。スキンシップがとれたか、子どもが話すことを、目を見ながら「うん、うん」と聞いてあげられたかを考えるようにしている。
毎日が同じ分量じゃなくても、子どもが「触れ合えた」と感じ、「聞いてくれた」と感じることができたかどうか。
家族で過ごす「家」という空間が、その子にとって、「安全地帯」となっているか。
雨風がしのげて、お腹がいっぱいと感じられるごはんを食べて、「おやすみ」と笑顔で言って1日が終わる。その積み重ねができていれば、親として自信を持っていいのではないかと思う。
そして、そんな風に一緒に過ごせる時間は意外と短い。
今夜も笑顔で「おやすみ」と言った娘を見て、「もう少しゆっくり成長でいいのよ」と、心の中でつぶやく。