6年の宿泊学習で感じた娘の成長
娘の、6年生の宿泊学習が無事に終わった。
私が子どもの頃も、小学校高学年のお泊りイベントは「宿泊学習」と呼んでいた。けど、東京は学校によって、「宿泊学習」だったり、「修学旅行」だったり、「臨海学校」だったり……。いろいろな呼び方があるみたいだ。
「娘の宿泊学習があったんだ」と話すと、「え? 修学旅行じゃなくて?」と聞き返される会話を、何人ものママ友とした。
行き先を聞くと、「それは、たしかに修学旅行だわ」と思うこともあるし、海の近場に行くならそれはやはり臨海学校だ。
娘は、ハイキングをしたり、キャンプファイヤーをしたりする2泊3日のお泊りだったので、それはやはり「宿泊学習」だろう。
……なんて、呼び方について長々と語ってしまったけれど、娘が楽しく参加し、元気に笑顔で帰宅してきたことが何よりで、語ったほど呼び方について何かを思っているわけではない。
過保護で何が悪い!が我が家のモットー
我が家は、「過保護だけど、過干渉ではない」が子育てのスタンス。
子どもとべったり一緒に過ごせる時間は、想像以上に短い。今は18歳で成人だ。成人するまで一緒にいられるとしても、18年なんて一瞬だ。現に、もう娘は11歳。成人するまであと7年しかない。
え? こないだ生んだばかりなのに? 生んでからずっと時間の流れの早さに驚き続けている。
相変わらず、夜な夜な幼い頃の娘の写真を見直しては泣いているし、11歳の寝顔に見惚れたりしている。
そんな私たちを見て、夫の母は、「あなたたち2人は、本当に……」と呆れているけども、子どもは本当に一瞬で育つ。
だからこそ、「べったり一緒にいられる時間は、過保護くらいでちょうどいい! 過保護で何が悪い!」が、我が夫婦の子育てのモットーだ。
そのおかげ(?)で、娘は、私かパパがいないと眠れない(と、思い込んでいる)。なので、6年生になった今も、お友達の家にお泊りに行ったことないし、おばあちゃんの家にも1人でお泊りにはいかない。
1年前、5年生の宿泊学習は大変だった。
初日の夜はホームシックで眠れず、夜中に担任の先生が電話をかけてくれた。声を聞いたら安心すると思いますと。
2泊目は、さすがに疲れたのと、消灯時間に先生がそばについていてくれたことで、なんとか眠れたようだった。
そして、帰宅した瞬間に、「6年生の宿泊は行かないから」宣言をした。
つねに全力投球な我が夫婦
1ヵ月前まで、娘は、「宿泊は行かない」と断言していた。だからといって、「行かなくていいよ~」とは言えない。
夫と共に、「6年の宿泊に楽しく参加できるためには?」を模索して、娘に話してきた。
娘は、学校は大好きだし、お友達もたくさんいる。ハイキングも楽しみだし、牧場で食べるソフトクリームも楽しみ。だけど、夜寝るときに、パパとママがいないのだけはいやだ。と言う。
昨年は、二段ベッドに1人づつ寝たけど、今年は和室でお布団並べて寝るらしいよ! 枕投げ楽しいよ~!
お友達と、恋バナしながら過ごす夜は楽しいよ~! 何より、6年生の宿泊は人生で1度しかないんだから、行かないと決めるより、行ったらどんなに楽しいことがあるかな~! を想像してみようよ!
1ヵ月、楽しそうなイメージをしながら夕飯を食べた。寝るとき、1人で布団に入り眠る練習もした。
そして、娘は宿泊当日、笑顔でバスの乗り込み元気に出発していった。夫と2人、バスが見えなくなるまで見送った。
そして、娘がいない夫婦だけの2泊3日。これもまた、すごく貴重。2人で居酒屋へ行ったら、同じように夫婦2人になったママ友夫婦と会って笑った。
「今頃何してるかなぁ」。そんな話ばかりしていたけど、それでも、夫と2人でカウンターで語り合う時間もすごく楽しかった。
そして、帰ってきた娘は、「楽しかった~!」と笑顔で帰ってきた。すごいすごい!
お小遣いで買ったお土産を渡してくれながら、「夜、寝る前にね、トイレでちょっとだけ泣いたの」と言った娘がかわいくて、笑いながら泣いた。
「でも、行ってよかった! パパとママが言ってた通り、夜みんなとおしゃべりして楽しかったし、お布団だとみんながくっついてくるからすぐ眠れたよ。一緒に考えた楽しそうだねってことが、ぜーんぶその通りだったよ」
我が家は過保護だ。娘が、たくさんの楽しいとうれしいと幸せを感じらるように夫婦で全力投球。傷ついたり、悲しかったり、苦しかったりしたら、これまた全力でその傷を癒すべく全力投球。
だけど、気づけば娘も強くなっていて、ちゃんと成長している。
その姿を見せてもらうことが、子育ての何よりのご褒美だなぁと思う。