この人、死ぬまでパートナーの愚痴を言い続けて生きていくのかな?
あるとき、ママ友と食事をしながら感じたことだ。
結婚生活はきれいごとでは成り立たない。私自身、結婚して15年の間には、ケンカをしたこともあれば、「離婚」という言葉を口にしたこともある。
友人同士で集まれば、パートナーの愚痴が話題になることだってあった。「わかる、わかる」と共感し合うことで、なんとなく救われたような気持ちになったこともある。
けれど、会う度に同じ話題。その問題を解決しようと向き合った形跡もなく、前回とまーーーったく同じ内容の、パートナーへの愚痴を聞かされていると、
「この人、死ぬまでパートナーの愚痴を言い続けて生きていくのかな?」
という気持ちになる。
「夫婦って鏡だよ」。
15年の結婚生活の中で、この言葉をいろいろな人から伝えられてきた。そして実際に、「ほんと、その通りだなぁ」と感じてきた。
ママ友は、パートナーが150%悪い! という勢いで愚痴を言い続けているけど、どんな夫婦も、どちらかが100%悪いなんていうことはない。
愚痴しか出てこない関係は、他の誰でもなく、2人で築いてきたものなのだ。
結婚はゴールではなく、スタート
結婚は、ゴールではない。
むしろ、これまで全く別の人生を歩んできた人と、人生を共にするスタートに近いものだ。
価値観の違う相手と暮らすのは簡単なことではない。それでも、少しずつ歩み寄り、相手の考えを知りながら関係を作っていく過程こそが、パートナーシップの本質だと私は思う。
もちろん、完璧な夫婦なんていない。こんなことを書いている私だって、夫との関係を日々試行錯誤している。
「一度きりの人生、できるだけ悔いのないものにしたい」というのが私の考えだ。
命を終える瞬間、自分の人生を振り返り、「パートナーの愚痴を言い続けてきた人生だったな……」と思うより、
「いろいろあったけれど、一緒に生きてこれてよかった」と思えた方がいい。
私は、そういう人生を生きたいと思っている。
完璧である必要はない。ただ、愚痴だけで終わらない関係を、少しずつ作っていくことはできるはずだ。
「この人と夫婦として生きていこう」と思った人と夫婦になって、子どもができて家族になった。
それは、他の誰でもなく、自分自身で決めて築いてきた人生だ。
思っていたのと違う! となれば、それを求めているものに近づけるためには努力が必要だ。願っていたら、誰かがそれを整えてくれる……なんてことは起きない。
がんばって、がんばって、それでも求めているものにならないのであれば、その関係をリセットする選択肢だって、私たちにはある。
けれど、そのどれもをせずに、ただパートナーの愚痴を言い続ける人生は、結局自分がいちばんしんどいはずだ。
子どもは親の生き方を見ている
最近思うのは、娘にとって私は、母親であると同時に、女性としての先輩でもあるということ。私の生き方は、娘のこれからの人生に大きな影響を与えることは間違いない。
けれど、世の中の女性たちでこのことを意識している人は、意外と少ないのではないかと思う。
「完璧な母親であること」
「母親としての姿を見せること」
「子どもに対して愛情を与えること」
もちろん、これも大事なことだ。
けれど、子どもが見て何より影響を受けるのは、「自分自身を満たして生きている親の姿」なのではないだろうか。
ランチで延々とパートナーの愚痴を言い続けるママ友。ある日、彼女が言った。
「うちの子、まだ小学生なのに、将来結婚はしたくないって言うのよ。なんでだろう」
自分の母親を見ていたら、結婚に対してポジティブなイメージが持てないのかもしれない。
「なんでだろう」ではない。むしろ、子どもがそう言ったことに対して、危機感を持たないのはなぜだろう。
愚痴を言うことがダメなのではない。
問題なのは、愚痴しか出てこない環境を変えようとしないこと、そこから抜け出そうとしないこと、自分は犠牲者だという意識のままでいること。相手が変わることをひたすら待ち続ける、他責の生き方だ。
子どもは、親のそういう生き方を、大人が思うよりずっとよく見ていて、いろんなことを感じ取っているのだろう。
この話を読んだ今、もし誰かに、「死ぬまで、パートナーの愚痴を言い続けて生きてくつもり?」と聞かれたら、あなたは、なんて答えるだろうか。



