言いたくなった、本音
子育てをしていると、「こんなことにも悩むのか!」と思うようなことが次から次へと起こる。
最近、私を悩ませたのは娘の友人関係。娘の友人関係を見ていて、どうしても引っかかる相手がいた。正直、言いたくなった。「その子との付き合い、やめたほうがいいよ」と。
娘は、頼まれると断れない。時間も気持ちも、当たり前のように差し出してしまうタイプ。よく、義母が、「この子は一人っ子なのに珍しい」と言うけれど、小さい頃から、お菓子やおもちゃを友達に分けてあげる優しいところがある。
一方で、最近私が見ていて気になる娘の友人は、受け取ることに慣れているように見えた。悪気があるかはわからない。でも、少なくとも“バランスがいい関係”には見えなかった。
きつい言葉になるが、いわゆる“テイカー”だなと感じることが多い。
だからこそ、余計に口を出したくなった。
口を出せなかった理由
でも、言えなかった。
それを言うことは、娘の人間関係を“私の価値観”でコントロールすること”になる気がしたから。
人との関わり方って、頭で理解するものじゃないと思う。生きていく中での体験でしかわからないことがある。人は誰もが、誰かに与えすぎてしまったり、傷ついたり、違和感を覚えたりしながら、少しずつ「自分にとって心地いい距離」を覚えていくのではないだろうか。
私だって、47年生きてきたからやっとわかっていることがたくさんある。そのどれもが、自らの経験によって理解できたことばかりだ。
だからこそ、先回りして、娘の経験や学びを奪ってしまってはダメなんじゃないか……。と思って言えなかった。
そして、同時に気づいたことがある。これは、娘の問題だけじゃない。昔の自分を見ているようだった、ということに。
伝えたいことはひとつだけ
嫌だと思いながらも関係を続けてしまったり、断れずに与え続けてしまったり……。本当はしんどいのに、「良い人でいなきゃ。そうじゃなきゃ、私の存在価値はない」と思っていたあの頃の自分。
だからこそ、娘には同じ思いをしてほしくないと思ってしまう。
でも、それもまた“私の物語”でしかない。娘には娘のタイミングがあって、娘なりの気づき方があるのかもしれない。
……なんて、いろいろ考えたけど、結局伝えておこうと思うことは伝えた。
「どんなときも、自分が何かを我慢したり、自分のことを犠牲にしたりしていると感じたときには、無理して誰かと付き合う必要はないんだよ」と。
「優しくすること」と「我慢し続けること」は、違う。
「ママはたくさん経験してきた中でわかっていることがあるから、つい、『こうしたほうが良いかも』ということを言ってしまう。それは、あなたのことを思うからこそなんだけど……。でも、それは、あなたの人生の経験を摘んでしまうことにもなる。だから、『この場合、こういう可能性があるかもね』ということは伝えるけど、やっぱり、いろいろ経験してそこから学んでほしい。辛いこともあるし、悲しいこともあるんだけど、その経験は必ずあなたの宝になるから。そして、そのときは、『ほらぁ! 言ったじゃ~ん』て言いながら、あなたの話を聞くから」
娘は、この話を笑いながら聞いていた。
けど、これから経験するいろんなことが、自分にとって大切なことであること、そして、どんなときも、”自分を一番大事にする”という視点から、人生の選択をして良いんだということは、きっと伝わったはず。
私は、こういう話をするとき、娘と散歩をする。散歩をしながら話をすると、なんだかお互い素直に気持ちのキャッチボールができる気がするから。
この話の後、私たちは手をつなぎながら家に帰った。握り合った手から、「安心感」が伝わってきた。



