自分にだけ厳しいルールを課してしまう私たち
「私、おしゃれしてもいいかな?」
友人から届いたLINEを見て、最初、何を聞かれているのかわからなかった。
20代半ばに職場で知り合った彼女は、オフィスでTOP3に入るおしゃれさんだった。美意識が高く、センスが良い。しっかり自分の世界を持っていてぶれない。美人なのに豪快に笑う彼女を見ていると、私にはないものをたくさん持っている人だなと、密かに憧れの気持ちを持っていた。
仕事を辞めた後は、人生の大きな節目を迎えるときに連絡を取り合うくらいだったけど、最近また、小まめに連絡を取るようになった。
そんな彼女から届いたメッセージ。「私、おしゃれしてもいいかな?」
私はこの質問に、「おしゃれをしていないあなたは、あなたじゃないんだけど」と返事をした。
「ほら、おしゃれって、がんばってる女性の証じゃない? だから、がんばってない私はおしゃれをする権利がないんじゃないかなって」
おいおい、何を言っているんだよ……。
「今の自分」にダメ出しをしない
彼女は、本気で”自分はがんばっていない”と思っているわけではないはず。でも、そう感じてしまう気持ちはわかる。
ただ、私は彼女にそんなことを言ってほしくなかった。というか、そんな風に自分のことを感じてほしくなかった。
「がんばってるじゃん。おしゃれしなよ。権利がないと決めてるのは自分でしょ? そして、おしゃれしたいと思っているのも自分でしょ? なに、無駄なブレーキかけてんの」
思わず、強めの口調で返信をしてしまった。でも、私たちはそのくらいの言い合いで気分を害する関係じゃない。
「私、がんばりたいんだって気づいた」
そう返信がきた。私から見たら、めちゃくちゃがんばってると思うのに、彼女は、今のがんばりでは足りてないと感じている。がんばりすぎる人ほど、本当に自分に厳しい。
そして不思議なことに、そういう人ほど「まだ足りない」と、自分にダメ出しをし続けている。
仕事をしていないから。
誰かに評価されていないから。
目に見える成果が出ていないから。
だから私はまだ、“おしゃれをしていい自分”じゃない。彼女の言葉の奥には、そんな思い込みが隠れていた気がした。
自分を尊重する人ほど幸福度は育っていく
でも、彼女が感じていることって、本当にそうなんだろうか。
- 毎日をちゃんと生きていること。
- 立ち止まりながらも、自分の気持ちを見失わないようにしていること。
- 「このままでいいのかな」と考え続けていること。
それは、十分すぎるほどの“がんばり”じゃないだろうか。
幸福度が高い人に共通しているのは、「もっと頑張れたら許す」ではなく、「今の自分にもOKを出せる」ことだと、私は思う。
おしゃれも同じだ。
誰かに褒められるためでも、結果を出したご褒美でもなく、ただ「今日はこれを着たい」と思った気持ちを、大切にしてあげること。
それは、自分を甘やかすことではない。自分を尊重する、ということだ。
年齢を重ねるほど美しくなる人は、流行を追いかけている人でも、完璧な人でもない。「自分がどう在りたいか」を、ちゃんと”自分に聞いている人”だ。
がんばっていないから、おしゃれしない。
幸せじゃないから、楽しんじゃいけない。
彼女に限らず、私たち多くが、そんなルールを自分に“だけ”課していたりしないだろうか。
彼女には、いつだってお気に入りの服を着て、おしゃれして出かける女であってほしい。
それだけで、世界が少し明るくなる日がある。幸福度は、劇的な出来事で上がるものじゃない。
こういう、小さな“自分への許可”の積み重ねで、静かに育っていくものなのだから。



