「ねばならない」をテーマにした理由
2月の終わりに、「ねばならないを手放す」というテーマのお茶会イベントを開催した。
金曜の午後からスタートし、3時間制の2部構成。
声をかけてくれた方が集客まで担ってくれて、結果的にとても内容の濃い時間になった。
今回このテーマを選んだのは、普段のセッションを通して、多くの人が無意識のうちに「ねばならない」に縛られて生きていると感じていたからだ。
「私らしく生きる」と「私らしく生きなくては」、言葉だけを見ると、とてもよく似ている。
でも、この二つに込められている意味は、まったく違う。
前者は、自由。後者は、義務。
「私らしく生きなくては」と思った瞬間、人は知らず知らずのうちに、自分に見えない制限やブレーキをかけ始める。
自分で自分を追い込んでいるのに、そのことに気づかないまま、
「どうしてこんなに苦しいんだろう」、「こんなに頑張っているのに、なぜ満たされないんだろう」と、悩み続けてしまう。
そして、そうやって悩んでいる人たちは、決まってとてもまじめで、一生懸命だ。
- 誰かに迷惑をかけないように
- 誰かを不快にさせないように
- 空気を壊さないように
いつだって、自分よりも他者を優先して生きてきた人たち。
「ちゃんとしてきた人」ほど、「ねばならない」をたくさん背負っている。
人生を選べるのは、誰か
私も、長い間そういう生き方をしてきたから、よくわかる。
でも、その生き方は、結果的に自分をものすごく苦しめる。
そして多くの人は、あるタイミングで必ずこう思う。
「こんな生き方、もういやだーーー!!!」
出来事として起こることもあれば、心の中で、ふと限界を迎えることもある。
そのときに、
- 気づいて変わる人
- 気づいたけど変われない人
- 変わり方がわからないまま放置する人
に、道は分かれる。
どれが正解というわけではない。ただひとつ確かなのは、自分の人生をどんなものにするかを選べるのは、自分だけということ。
ネガティブな現実は、誰かのせいにしたほうが楽だ。
「私は被害者なんだ」
「この状況のせいなんだ」
そう思っているほうが、一時的には心が軽くなる。
でも、もし今、頑張っても頑張っても苦しくて、救われない感じがしているとしたら……。
それは、あなたが無意識に積み重ねてきた「ねばならない」という思考が、今の人生を形づくっているのかもしれない。
他者へ向けていた優しさを自分へ
「ちゃんとしなくては」
「期待に応えなくては」
「私が我慢しなくては」
その一つひとつは、決して悪意から生まれたものではない。
むしろ、優しさや誠実さから生まれている。だからこそ、手放すのは簡単じゃない。
でも、その優しさを、そろそろ自分にも向けていい。
「ねばならない」を手放すというのは、何かを投げ出すことでも、無責任になることでもない。
自分の人生のハンドルを、他人ではなく、自分の手に戻すこと。
今回のお茶会は、そのための「きっかけ」を、みんなで静かに差し出し合う時間だった。
「人生は、もっと自由でいい」。そう、思えた時間だった。
来た時と、帰っていくときの表情が全く違う人がいた。
「自分が知らない世界って、まだまだたくさんあるんですね。参加してよかったです」
そう言いながら会場を出ていく笑顔がキラキラしていて、私はとってもうれしかった。



