子どもの頃苦手だった”カエルの合唱”
私が生まれ育ったのは、家のまわりにたくさん田んぼがある環境。田植えが終わる頃になると、一斉にカエルの合唱が聞こえはじめる。
カエルが好きではなかった私は、そのカエルの合唱がとても苦手だった。眠りにつくときに聞こえるカエルの合唱のせいで、子どもの頃はよくカエルの夢を見た。覚えているのは、起きると布団の中にカエルが何匹もいて、泣き叫ぶという夢。実際に泣きながら起きて、母の部屋に助けを求めに行くことが何度もあった。
その夢の内容や、寝ている母を起こして、「カエルなんていないでしょ」と言われた記憶が今も鮮明に残っている。
ところが、大人になって地元を離れた私は、帰省中、就寝時間に外から聞こえてるくるカエルの合唱にとても癒されるようになった。
静かな田舎街の夜、車の音すら聞こえない中でカエルたちの合唱を聞くとたまらなく安心した気持ちになるのだ。
カエルの合唱が聞こえる時期に帰省をすると、窓を少し開けてその音を聞きながら眠りにつく。そうすると、眼を閉じた瞬間に深い眠りに落ちる。大人になった私にとって、カエルの合唱は質の良い眠りをもたらす特効薬となった。
娘にも聞かせたい! と、まだ幼い頃の娘を連れて夜のドライブに出かけたことがある。田んぼの真ん中のあぜ道に車を停め、抱っこして外に出たら、カエルの合唱に驚いた娘が大泣き。小さな頃の私と同じだった。
カエルの合唱が心地よくなるのは、ある程度年齢を重ねた人の特権なのかもしれない。
息苦しくて逃げだした故郷
地元から離れることはないと思っていた私が、20代になった途端地元を離れることばかりを考えるようになった。
行きたい場所はもちろん、東京。
あの頃の私にとって、生まれ育った場所は、ただ息苦しく、未来に何も希望を見いだせない場所となっていた。
どうしたら東京に行けるんだろう。母を説得するにはどうしたらいいんだろう。どんな仕事ができるだろう……。
そんなことばかりを考えていたら、いろいろな条件とタイミングが重なり、東京に行けることになった。
同じタイミングで東京に引っ越す友人の家に居候することが決まり、仕事は東京に行ってから探すことにした。
言葉通り、カバンひとつで東京に出てきたのは23歳のとき。
友人の家に居候しながらパソコン教室に通い、派遣社員として仕事をいくつか経験するうちに代理店の社員となり、その後ベンチャー企業に転職。そして、フリーライターになった。その間に、結婚、出産を経験した。
そして、46歳の夏。夏休みの帰省中で、このコラムを実家で書きながら考えたのは、23歳の自分に、どうしてそんなに東京に行きたかったの? なにがそんなに魅力的に感じていたの? と聞いてみたいということ。
息苦しいと逃げ出すように離れた地元は、今となれば帰るたびに安心できる場所になった。自分が自分らしくいられる場所であり、子育ても、ここでならもっと伸び伸びできそうだと感じる。
あんなに苦手な場所だと思っていた地元が、今は恋しくて仕方ない。
どの瞬間からそうなったのかはわからない。けど、おそらく出産、子育てを経験したころから、自分の中の価値観が変化していったことは理解しているので、きっとその過程で変化していった気持ちなんだろう。
苦手や不得意なものが好きや得意に変わるとき
「子どもの頃は、ナスの漬物が苦手だったんだよね~」と言いながら、母が漬けたナスの漬物を口に運ぶ。今では、漬ける季節が近づくと、「ナスの漬物ができたら送ってね」と催促している。
考えてみると、子どもの頃だけではなく、人生の節目、節目に、苦手なものや不得意なものがあって、「あー、これさえなくなれば、私の人生もっと楽になるのに」と思うようなことはよくあった。
ただ、気がづけば、その多くをいつの間にか克服し、中には、「苦手? いやいや、むしろ大好きです!」みたいな存在になっているものもある。
人生っておもしろいなぁと思う。
年齢を重ねるということだけではなく、住む環境、出会う人、耳にした話。ありとあらゆることで、好みや価値観が変わっていく。
今回、この話を書こうと思ったのは、46年の人生の中で苦手や不得意をたくさん克服してきたなぁということに気づいたから。
昔は好きだったのに、今は苦手になったもの。というものがあまりない。苦手が増えていく人生ではなく、好きが増えていく人生を送れているじゃない、私! ということに気づいたら、うれしくなって書いてみた。
そういう気づきで、自分のこともまた好きになる。
あとは、どうしても食べられないトマトを克服したら、私の人生、かなりハナマル満点に近いかもしれない。
みなさんの人生は、どうですか?