私にとって、謎の多い”父親”という存在
年末、地元に帰省したので、10年以上ぶりに父の墓参りに行った。
「10年以上も父親の墓参りをしていないって、どういうことだ」と思われそうだけど、私と父との関係はとても複雑。
私が物心つく前に両親は離婚をしたので、私が育った環境には”父親”という存在がなかった。母と私と弟。この3人が、私の「家族」だった。
私は、どんな人にも人生の中にぽっかり空いた穴みたいなものがあると思っていて、私にとってのその穴は”父親”であり、その穴は決して埋まることがないと思って生きてきた。
「母子家庭で育ってるのに、ファザコン体質だね」。
20代の頃、顔も思い出せないような人に言われた言葉がずっと耳の奥に残ってる。私をよく表した言葉だなと思った。
私にとって「父親」という存在は謎が多い。
”父親”が与えてくれるものって?
2023年。3年続いたコロナ禍が落ち着き、数年ぶりに実家に帰ることができた年。
5月の連休、夏休み。富山に行くたびに夫が、「お義父さんのお墓参りにいかない?」と言ってきた。
結婚して10年以上経つけど、これまで夫がそういうことを言ってきたことはなかったので、なんとなく「行ったほうが良いんだろうな」という気持ちを頭の片隅に置いたまま、「そうだねぇ」と言いながら実行には移さなかった。
物心つく前に離婚しているとは言え、父親には会ったこともある。ただ、私の中では「どうやらあの人が私の父親らしい」という存在のまま、それ以上の関係を埋めることなく天国へ行った。
私の人生の中で”父親”という穴を最も埋めてくれたのは、夫の父。私にとっての義父だが、その義父も「僕に娘ができるの? バンザーイ!」と言って喜んでくれた日からたった7年とちょっとで天国へ行ってしまった。
「父親」という存在が、何を与えてくれるのか、どんなふうに愛してくれるのか、どんなふうに大切にしてくれるのか。そういうことを知らずに育った私に、義父はたくさんの愛情を与えてくれたけど、それでもやっぱり7年じゃ足りなかった。
夫と娘が埋めてくれたもの
夫とは、24歳で出会って、33歳で結婚した。
いろいろあったけど、夫婦になって、娘が生まれて、夫と私と娘の3人家族になった。またまた3人家族だけど、この3人家族には「父親」がいる。私にとっては夫だけど、娘にとっては「父親」だ。
私の中にずっと空いている穴であり、謎に包まれた「父親」というものを、私は夫と娘を見ながら知っていく。
「これが、父と娘なのかぁ。父の愛とはこういうものなのかぁ」と。
愛情表現が苦手な夫が、ニコニコ笑顔で娘と遊んでいる。娘という存在は、この人をこんなにも変えるのかぁ。というか、お父さんだから変われるのかぁって発見が日常に溢れている。
私は、娘が「パパ! パパ!」と呼ぶ姿を見ているだけで涙が出るし、夫が愛おしそうに娘を見つめているのを見ると涙が出る。
2人を通して、私の中に空いた「父親」とか「娘として愛されること」という穴が満たされていく。私が愛する2人がゲラゲラ笑ってるのを見てると、幸せが溢れて涙が出てくる。
それを感じるたびに、「私の子のお父さんが夫でよかったな」と思う。
足りてないと思っていたものは、生きてさえいれば後からだって手にすることができる。
「ないない! 私にはなにもない!」なんて思っていた20代のころの私に教えてあげたい。
「ずっと欲しかったものを、あなたはちゃんと手に入れるよ」と。
私の中でずっと埋まらないと思っていた”父親”という穴を、知らず知らずのうちに、夫と娘が埋めてくれていた。夫はきっと、私のその変化に気付いていたのかもしれない。
だから、「今なら、お父さんのお墓参りができるんじゃない?」と感じたんだと思う。
北陸の年末とは思えない青空が広がる日、私は初めて父と真正面から向かい会えた気がする。
墓石を前に、心の中で話しかけた。
「あなたがいたから、私がいる。ありがとう。やっと、素直にそう伝えられるようになったよ」と。