大切なのは「親の導き」or「子どもの主張」?
姉の影響で受験する流れとなった次女。小4から受験塾に通い始め、まずまずの成績を収めてきた。しかし、今年小6になってからは停滞が続き、当初志望していた中学は少し厳しそう。本人はさほど気にしておらず、「今くらいの成績で入れるところでいい。無理して高いところに入っても、入学後が大変そうだし」と、現実的というか、後ろ向きというか。ここで親が一緒に諦めて妥協していいのかな? それとももう少し背中を押して応援すべき?
子育ての指南書には、「子どもの自主性を尊重すべき」「子どもの主体性を優先」と書いてあるものが多いですが、実際はどうでしょうか。「今はこんな風に言っているけど、後からきっとこう言うだろう」と先回りしてやってあげる場面も多いのでは。
- 家族で服を買いに来た。いつもは姉と同じものが欲しいという次女が今日は「いらない」と言っている。あとからきっと欲しがるので一応おそろいの服も買っておく。
- 学校の準備を面倒くさがる長男。ギリギリになって「これを忘れた、あれもいる」と言うので学級だよりを見て先に準備しておく。
- 習い事で先生に怒られて「もうやめる!」と言うわが子。しかし今勢いでやめると後悔しそうなので、「もうしばらく頑張ろう」と声をかけた。
日常の小さなことから大きい選択まで、親が子どもの傾向や性格を理解して動いておくことはあると思います。では、子どもが何かをもうやめると言ったとき、一緒に諦めるのがよいか、もう少し期待して導いた方がよいか。その塩梅を考えてみます。
「感情的な選択」にしないことが大切
感情的に決めているときは一度落ち着いて話し合うのが大切です。子どもは目先の辛さ(宿題が嫌、先生に叱られて辛い等)に影響されやすいもの。一方親は、その先にある目的や結果に目を向けて継続してほしいと考えますよね。
多くの子は理性や理屈よりも気持ちが先立ち、感情的な選択をしがちです。なので、大人が子どもの今の気持ちと、この先抱きそうな気持ちを先に汲み取ってあげるのは大切な関わり。しかし、どんな親も子どもの気持ちを完璧に把握できませんし、親の色眼鏡で子どもの気持ちをわかったつもりになってしまうときもあるでしょう。
なので、「あなたは〇〇なんだからこうしなさい」「あなたは後からこう言うに決まってるんだから」と決めつけるのはやりすぎ。一度冷静になり、「気持ちがいっぱいになってるときは大事なこと決めない方がいいから」と保留にするのがよいでしょう。
「親の期待」になりすぎないように
一般的には、子どもに対して諦めすぎている親より、期待しすぎている親の方が多いでしょう。もちろん、自分の子どもが全ての能力を備えていると考えている方は少ないと思います。
- うちの子、勉強は鼻から苦手で小学校低学年ほどで向いていないと感じていた。でも走るのは好きで、スポーツしている姿はイキイキしているからその力を伸ばしてほしい。
- 成績がそんなに良いわけではなかったけど、宿題はまじめに取り組むわが子。勉強が嫌いじゃないなら伸ばしてあげたいと思い、塾を勧めた。
子どもの才能はたしかに無限ですし、誰かが上限を定めるものではありません。一生懸命な親御さんほど、子どもを一番に考え、力を信じ、伸ばしてあげようとするもの。
一方、それが知らず知らずのうちに、「親の期待」に変わっていくんですね。子どもより先に諦めるのは適切とはいえませんが、子どもが立ち止まりたい、休みたい、疲れたからやめたいと主張したとき、受け止める力も大切です。
「いや、それは子どもの甘えだ」と決めるのではなく「無理させていたのかな?」という視点ももち、考えていけるとよいでしょう。