がんばるほど、孤独になるママがいる
僕は仕事柄、色んなパパさんやママさんから家族の話を聞かせていただくことが多いです。
そうして話を聞きながらいつも思うのは、多くのパパ、ママは本当に毎日家族のことを想いながらがんばっているんだなということ。
ただ、そのがんばりがちょっと行き過ぎちゃって孤独になってしまっているケースも、じつはよく聞くのです。
あるママさんは、十数年前。子どもが産まれてからヴィーガンにハマりました。お子さんがアレルギーを持っていたことから、栄養や健康についてたくさん勉強し、たどり着いたのがヴィーガンだったのです。
僕も詳しくないので詳細は省きますが、ヴィーガンは完全菜食主義とも呼ばれており、肉や魚介類だけじゃなく乳製品なども口にしないとのこと。これには家族が参ってしまった。「食」とはただ身体のために接種する行為ではなく、その人の生きがいや悦びにも直結します。関西から東京の大学へと入学した僕の友人は、「東京の醤油が合わない」と言ってはため息をついていました。(20年以上も昔の話ですが)
醤油の味でもため息が出てしまうのに、それまで普通に食べていた肉や魚、卵や乳製品がNGになればフラストレーションは溜まっていきます。
義父の誕生日パーティにもヴィーガンのお店をチョイスしたのだけど、野菜があまり好きじゃない義父はコース料理にほとんど手を付けなかったそうです。
また、「夫が、こっそり子どもを連れて焼き肉を食べに行ってたって知ったときは、なんで理解してくれないんだろうって⋯⋯」
よほどショックだったようで、涙ながらに語ってくれました。
じつは同じような話って、よく聞きます。食に関してだけじゃなく、片付けにハマって物をどんどん捨てることに家族がついていかなかったり、子どもの教育にのめり込んでしまって子ども本人を含む家族の誰も望まない受験戦争に、家族が疲弊してしまったり。
家族の”声”に耳を傾けて
そういう僕自身も、子どもが産まれたばかりのころに、妻の気持ちを置いてけぼりにしたままがんばってしまっていたことがありました。
当時すでにNPO法人tadaima!の活動を始めていた僕は、完璧なイクメン(当時は流行っていたんですよ)目指して、バリバリに家事をやっていました。母乳の出が思うようにいかない妻の身体を思って、なるべく高脂質にならないようにご飯は手作り。妻が安心して気持ちよく子どもと過ごせるように、常に部屋はピカピカに。もちろん育児で疲れている妻のために、ひとりでゆっくり眠れるように子どもと僕が2人で過ごす時間をできるだけ増やしたり。
なんの文句も出ない「完璧なイクメン」⋯⋯だったのだと思います。
でも、そんなのは僕の勝手な空回りでした。
ある日妻は泣きながら「ご飯なんてお惣菜でいいし、部屋が汚くたっていいから、もっと”わたしと”一緒にいて欲しい」と言いました。
その頃の僕は、仕事から帰ってきたらすぐに家事育児。妻には1秒でも早くリラックスして寝てもらおうと奮闘していたのです。その結果、妻とコミュニケーションを取ったり、家族で一緒に団らんする時間がなくなっていました。
その結果、妻は孤独になり、僕もそれによって孤独に疲弊してしまっていたのです。
妻がちゃんとSOSの声を上げてくれたおかげで、僕は自分の行き過ぎた「良かれ」に気がつくことができました。
自分がいいと思っていることが、家族のためと思っていることが、家族からしてみたら少しズレてしまっているというのは、他人事ではなく誰にでもあり得るのだと思います。
だからこそ、ただ思い込みで「良かれ」をかんがえるのではなく、家族の声に耳を傾けてみることが大切なのです。
家族のためを思うなら、家族と対話するのが一番いい
「良かれ」に翻弄されてしまう人の話を聞いていると(僕自身も含め)、家族の声が聞こえなくなっているケースがよくあります。
自分はこんなに調べて、知識があるけど、家族は何もわかってない。そう思ってしまうと、家族からの本当のSOSが入ってこなくなってしまいます。
家族のためを思うなら、家族の声に耳を傾けてみるのはとても大切なことです。
僕自身、そのことを忘れないようにしていきたいと思っています。