なぜ「正解」を教えたくなるのか
親が子どもに正解を教えたくなる気持ち、よくわかります。
失敗させたくない。 自分が苦労したから、子どもには楽をさせたい。 時間がないから、効率よくやらせたい。
どれも、子どもへの愛情から来ているものです。でも、この「良かれと思って」が、実は子どもから大切なものを奪ってしまっていることがあります。
「正解を教える」ことの副作用
正解を教えることには、いくつかの副作用があります。
まず、子どもが「自分で考える」機会を失います。「親に聞けば答えがもらえる」とわかっていれば、わざわざ自分で考える必要がありません。 その結果、「どうすればいい?」と聞くことが習慣になり、自分で判断する力が育ちにくくなります。
次に、失敗を恐れるようになります。「正解」があるということは、「不正解」もあるということ。 「間違えたらダメ」というプレッシャーの中では、子どもは挑戦することを避けるようになります。
新しいことに挑戦しない。自分の意見を言わない。
それは「消極的な性格」ではなく、「失敗を恐れている」だけかもしれません。
親だって「正解」なんてわからない
そもそも、親は本当に「正解」を知っているのでしょうか。
ぼく自身、子育てをしていて痛感するのは、「正解なんてわからない」ということです。
自分が子どもの頃に正解だったことが、今の時代には通用しないこともある。 自分には合っていたやり方が、子どもには合わないこともある。
親の経験は、あくまで「ひとつの参考例」でしかありません。
それを「正解」として押し付けてしまうと、子どもは自分の人生を生きられなくなってしまいます。
「正解」の代わりに伝えたいこと
では、正解を教える代わりに、何を伝えればいいのでしょうか。
ひとつは、「答え」ではなく「問い」を与えてみること。
「こうしなさい」ではなく、「どう思う?」「どうしたい?」と聞いてみる。 子どもが自分で考えるきっかけを作るんです。
もうひとつは、「失敗しても大丈夫」という安心感を渡すこと。
正解を教えないということは、子どもが失敗する可能性があるということ。 でも、その失敗を受け止める準備が親にあれば、子どもは安心して挑戦できます。
「失敗しても、また考えればいい」 「うまくいかなくても、あなたの価値は変わらない」
そういうメッセージを伝えることが、正解を教えるよりもずっと大切だと思います。
「教える」から「一緒に考える」へ
子どもの人生の正解は、親が持っているものではありません。 子ども自身が、試行錯誤しながら見つけていくものです。親にできるのは、正解を教えることではなく、考える力を育てること。 そして、何があっても「大丈夫」と言ってあげられる存在でいること。
「教える」から「一緒に考える」へ。
ぼく自身も、つい「正しさ」に引っ張られそうになることがあります。 でも、「正解なんてわからない」というスタンスを忘れないように、子どもとも接していたいと思っています。




