夫の言い分あるある1:「俺のほうが稼いでるんだから、稼いでない方がやるのが当たり前」
こんなことを夫に真顔で言ってこられたら腹が立ちますねぇ。
でも、家事分担の研究の中ではこうした態度のことを「相対的資源仮説」と言い、立派な家事分担が進まない仮説のひとつになっています。
こうした思い込みは、男性だけでなく女性側も持っていることが多いのです。
「夫の方が稼いでいるんだから、家事育児をお願いするのは申し訳ない」
なんとなくそう思ってしまうことってないでしょうか?
こうした夫婦間格差が、夫から家事育児を遠ざけている要因のひとつと言えるようです。
夫の言い分あるある2:「残業が大変だから家事も育児もできない」
こうしたご家庭も多いのではないでしょうか。
これを「時間制約仮説」と言います。
家事育児は24時間同じように忙しいわけではありません。
- 朝の起きてから出かけるまでの時間。
- 夕方子どものお迎えが終わってから寝かしつけが終わるまでの時間。
主にこの朝夕の数時間ずつがピークで忙しい。
これをぼくは家事育児のゴールデンタイムと言っていますが、この時間帯に協力し合うことができなかったら「家に帰ってきてもやることがほとんどない」という状態になります。
夫の言い分あるある:3「だって、家事も育児も女性の方が得意だし、本来女性がやる仕事でしょ?」
育った環境なのか、まわりの人達から受けた価値観の影響なのか。令和になってもそうした価値観を強固に持ち続けている人もいます。
これを「イデオロギー仮説」と言います。つまり「男性は外で仕事をして稼ぎ、女性は家で家庭に従事する」を肯定的に捉えているかどうかです。
平等が当たり前になってきているように感じるかもしれませんが、驚くほど「家事育児は女性の仕事」という思い込みは強いのです。
表立って直接そう云う人は少なくなっているかもしれません。
でも例えばこんなこと、言ったり言われたりしたことないでしょうか?
「家事を手伝う」
「イクメン」
「子どもを抱っこしてるなんていいパパだね」
「今度の検診にはお母さんと一緒に来てくださいね」
「ママと子どもの〇〇」「ママと一緒にする○○」(某テレビ番組の名前もそうですよね、良い番組ですけども……)
言葉だけではありません。おむつ替えシートも圧倒的に女性のトイレのほうが多くついています。
日常生活のなかに、こうした「家事育児は女性がメイン」を彩る言葉や環境は溢れています。
家事育児をしない男性の価値観だけが古いわけではありません。
同じように古い価値観に囚われながら苦しい思いをしている女性もいるし、社会の価値観がまだまだ変わっていないこともあるのです。
家事をしないことで、男らしさを主張したがる夫たち
「家事をしないこと」が「男らしさ」の表現である。
なんて聞いたらイラッとするでしょうか?
それがこの「『男らしさ』の補填仮説」。
これは、社会学者の筒井淳也先生の著書に書かれていた仮説を、男性学の田中俊之先生がある記事で命名していた仮説です。
どういう内容かと言うと。
「稼ぎ」によって男らしさ・男性の権威を表現することができない夫が、あえて家事をしないことによって男性役割を維持しようとする(『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』(光文社新書・著 筒井淳也)
とのこと。
つまり、「俺、料理できないんだよね」「掃除とか興味ないし」「子どものことは母親が一番でしょ」と家事育児を放棄することが、男らしさの表現だと思っているとのこと。
たとえば、恋人時代に「なんにもできない彼氏の世話を甲斐甲斐しく見てあげる」ことが女らしさの表現につながると思ったことがあるとしたら、それと似たような感覚かもしれません。
家庭的であることが「女子力高い」と表現されることも、男女の役割分業価値観の現れかもしれませんね。いずれにせよ、家事育児をあえてしないことで女性を従属させ自分の優位性を確認する。
嫌な言い方ですが、無意識のうちにそんな思い込みに囚われている夫もいるかもしれません。
男らしい夫、女らしい妻じゃなくて最良のパートナーを目指す
一口に「なぜうちの夫は家事育児しないんだろう」と言っても原因は様々です。
上記した以外の理由がある場合もあるでしょう。そして、そのどれもが一朝一夕で解決するのは難しい。
なので、まずはこれを読んでいる自分自身が「女らしい妻」という柵(しがらみ)から抜け出してみましょう。夫のニーズに応えて母親のように甲斐甲斐しくお世話をしてあげることが、自分の目指すパートナーシップかどうか。
もしも、そうではないと思ったのなら。
夫の世話を適正なパートナーシップと思えるところまで、調整してみてもいいかもしれません。