わが家は6歳になる娘がいるのですが、色々とやってみても長続きしないことが結構あります。
この前なんか、娘が「やりたい!」と熱望してモノポリーを購入したのですが。
思ったほど楽しくなかったようで「やろうよ」と誘っても「う〜ん、いまはやりたい気分じゃないんだよね〜」と逃げるように!!
「いやいや、せっかく買ったんだからちゃんとやろうよ」
というのが親のホンネですが、思い返せばぼくだって似たようなことも多い。
「読むぞ!」と心を決めて買った本が積ん読のままいくつも溜まっていたり。
「やるぞ!」と思って買ったゲームをクリアもせずに放置してしまっていたり。
「筋トレするぜ!」と手に入れた器具に埃が溜まっていたり。
先日娘から「パパはさ、いつゲームクリアするの?」と不審そうに突っ込まれハッとしました……。
そういえば子どもの頃も、親に「あなたは何やっても長続きしないねぇ」なんて言われていました(反省)
自分が子どもの頃から飽きっぽかったから、というわけではありませんが。
この「長続きしなかったこと」の見方を少し変えてみたらどうなるでしょう??
「続かなかったこと」じゃなくて「挑戦してみたこと!」
新しいボードゲームを楽しめそうだと挑戦してみた!
お菓子を自分で作ってみたいと思って、やってみた!
ちょっと難しそうな本でも読んでみようと、チャレンジしてみた!
「長続きしなかったこと」は少なくとも「やってみたこと」ではあるわけです。
インターネットであらゆる情報が、指先一つで手に入る時代だからこそ自分でやってみる体験は、何ものにも代えがたい価値があると思うのです。
そもそも、やり始めたことが全部長続きするなんてことはありえません。
子どもには「色んなことにたくさんチャレンジして欲しい!」そんなことを思い、伝える一方で「やりはじめたら、最後までやりきりなさい」とも言うわけです。
全部最後までやりきっていたら、たくさんのチャレンジ、なんてできなくなってしまうのに。
たくさん触れてきたことの、極々一部が「これ楽しい!!!」という出会いになる。
変化の早いいまの時代だからこそ、熟考して、絶対失敗しないように準備してから取り掛かるようじゃ挑戦できる回数が少なすぎるのかもしれません。
だから「長続きしなかったこと」は「挑戦してみたこと」の集まりで、それはとても素晴らしいことだと思うのです。
「投げ出した」のか「辞めた」のか区切りは大事
そうは言っても、なんでもかんでも途中で投げ出されたらたまったもんじゃありません(苦笑)
また子ども自身も「自分は長続きしないな」とせっかくの挑戦をマイナスに捉えちゃうのもモッタイナイ。
なんでも引き際というのは大切なのです。
なので親としては続かなかったことを無理やり続けさせるよりも、引き際をキレイに整えてあげる方が大事な気がしています。
と言っても簡単なことで。気をつけているのは2つ。
- 「長続きしないね」とグチグチとネガティブを植え付けない
- 「また、やりたくなるときが来たら一緒にやろうね」と「今は」タイミングじゃなかったと伝える
まず1。
ついつい「またぁ」と言いたくなってしまいますが言い過ぎると「長続きすることしか挑戦しちゃいけない」と挑戦に尻込みをしてしまうかもしれません。続かなかったことよりも、やってみたことをまずは認めてあげたいと思っています。
そして2。
何度でもやり直したらいい。そのことをちゃんと伝えてあげたいと思っています。挑戦は、一度しかできないわけじゃない。いまはつまらなくても、また楽しくなるときが来るかもしれない。
何度だって、いつだって再チャレンジできるんだってことを伝えてあげたいと思っています。