嫉妬の気持ちは人を苦しめる
「俺は仕事をがんばってるんだから、家のことは君が中心でがんばってくれよ」
そうやって仕事・収入を「家事育児をしない免罪符」にしていると、こうしたパートナーの成功をともに喜べない気持ちになってしまうと思います。
「俺は一家の大黒柱だ!」と思いこんでしまうことを「大黒柱プレッシャー」なんて言ったりもしますが、これは夫婦をどちらも苦しめる元となってしまいます。今や共働き家庭が66%以上(※内閣府男女共同参画局の「共同参画 2020年9月号」)。ぼくたちの親世代のように「男が仕事して、女が家庭」なんて時代は終わってしまっているのです。
それでも、根強い「男が稼ぐべし!」と言うプライド。
さて、「妻の成功に嫉妬してしまう夫」に対して妻はどうすべきか? そこに多く寄せられていたのは「夫を立てよ」ということでした。
「あなたのおかげよ」
「あなたほどじゃないわ」
「たまたま上手く行っただけよ」
「今はほら、女性を取り立てようって会社が力を入れてるから」
なんて具合に。
これを読んでいるあなたがもし同じ立場だったら、どうするでしょうか。
「やっぱりそうしないとダメだよね」と夫を立てますか? それとも「そんなのは無視、無視!」とスルーするでしょうか?
どうするのが正解かは、残念ながらぼくにはわかりません。
でも、「夫を立てる」ことが「夫のプライドをより頑なにしてしまう」ことは間違いなさそうです。
その場限りで適当におだてても、お互いの間にくすぶる、いや〜な気持ちはどうしようもありません。
自利利他の気持ち
ぼくは仏教が好きで、お寺巡りをしたり、本を読んだりと楽しんでいるのですが。
仏教の言葉の中に「自利利他」というものがあります。
自利とは、自分自身の利益のこと。利他とは他人の利益のこと。
「自分が幸せになり、同時に他人を幸せにすること」
自利だけでも利他だけでもなく、両方をちゃんとやっていかないとね、というのが自利利他です。
自己犠牲の上で人を助けても幸せにはなれない。もちろん他人を蹴落として自分だけ幸せになろうとしたって上手くなんていきっこない。
この自利利他の気持ち。
これを持つことが、嫉妬する気持ち、嫉妬にさらされて嫌になる気持ち、両方を楽にしてくれるのではないかと思うのです。
嫉妬に苦しんだ時期もある
自分より成功していく人を見て、とくに自分より「下」だと思っていた人が自分を越えて駆け上がっていく姿を見るのは辛いものです。
また、自分が悪いわけでもないのにそんな嫉妬からくる八つ当たりにさらされるのも辛い。
ぼく自身、過去には自分よりどんどん成功していく友人や仲間に嫉妬していた時期がありました。
「〇〇が、大きなメディアで取り上げられたんだって!」「〇〇って、いますごく売れてるよね!」そんな話に耳を塞ぎたくなる日々。
〇〇に比べて、自分のなんと惨めで小さいことかと苦しくなってしまうのです。
嫉妬とは「人と比べて、自分が惨めに思える」から湧き上がってくるのだと知りました。
でも、子どもが産まれて「人の成長がうれしくて、自分の幸せに直結する」という感情を知ったのです。
最初は「わが子」だからこその感情だったと思います。
でも、この「人の成長、成功をよろこぶ」というフォーマットは、わが子以外にも転用できたのです。
わが子の成長は自分の幸せになるのに、他人の成功が嫉妬になってしまう理由。
それは「推し」になってるかどうか。それだけです。
「推す人」になる!
そもそも、他人と自分を同じ舞台に乗せて比較する関係が嫉妬を生み出してしまいます。
そうではなくて、他人を「推す」楽しさを味わうこと。これが利他の始まりだと思ったのです。
ぼくは、わが子を誰よりも推しています。だから、娘の成長はこの上なく嬉しい。
同じように、妻のことも人生をかけて激推ししてます。
妻が忙しくなれば「家のことは心配しないでがんばっておいで」と送り出す。妻も同じように、ぼくを推してくれてるのでこれはお互い様になります。
お互いが推していれば、妻の成功に嫉妬するなんてことはありえません。
仕事で関わりのある仲間に嫉妬することも、すっかりなくなりました。
いまではどの人も大切な仲間であり、彼らの成功を心から願い、力になれることはお互い助け合っています。
自分が嫉妬の気持ちにとらわれないようになるのにも。
人からの嫉妬の気持ちにさらされないようにするのにも。
とにかく、その人を「推す」こと。
夫が嫉妬してくるのだとしたら、夫を立てるなんてことより夫のキャリアをどんどん応援した方がいい。
妻に嫉妬してしまうなら、自分も妻の成功の当事者になってしまえばいい。
家族の幸せのために一生懸命になるって。
とても楽しくて、幸せなことだとぼくは思うのです。