子どもに任せる・見守るとは
私は子どもの不登校を経験しています。
その時は子どもにどう対応すればいいかわからなかったので、様々な本やブログを読み漁っていたところ「不登校になる子どもの親は過保護過干渉が多い」という内容をたくさん目にしました。
実際私自身がそうだったので、「黙って見守りましょう」「子どもに任せましょう」という言葉に納得し、「任せる」「見守る」を意識していました。
たとえば……
以前はやいやい口出しをしていた。
→本人の自主性に任せるために好きにさせる。
ついつい先回りしていろいろ手出していた。
→求められるまではこちらからは手を出さない。
など、極力“何もしない”を心がけました。でもそうなると、過保護過干渉だった私には子育てに何か手を抜いているような物足りなさが。
さらに、「手出し口出しをしない」=「任せる・見守る」という解釈で合っているのか違うのか、私自身その時はよくわかりませんでした。
今はたくさんのママの相談をお聞きしますが、あの時の私のような方がとても多いです。
どんな目線で見ている?
先日も相談者さんとお話する中で、子どもに任せている、見守っているというママが、
息子は今日はこれを自分でやっていた。ヨシヨシ!
今日は食器を運んだ。上出来!
私が言う前にお風呂に入ってた!
ただ、洗濯物を取り込むのはやってなかった。
とおっしゃってて、あれ??っと違和感を覚えました。
確かに何も手出し口出しはしていないけれど、それって、息子さんに任せている?見守っている?
いや、一体何目線で見てる……?
子どもを見張る「評価目線」
例えば子どもが何かをした時、もしくはしてくれた時。
ヨシヨシ!とか、上出来!など。
子どもを評価する目線になってるのだとしたら、それは紛れもなく、師匠・先生・上司・専門家・社長・先輩のような上からの評価目線。これは、ちゃんとさせるためにあれこれ口出ししていた時の目線と全く同じ!
きちんとこなせてるか?
進歩しているか?
言われなくても動けるか?
見張っている評価目線です。
家族の一員としての目線
子育てで必要な目線とは、家族の一員であるママが、子どもという家族の一員を見る目線。
子どもの行動を観察して、できてるかできてないかを見るのではなく、
うれしい。
ありがたい。
助かった。
そんな感情ベースで子どもと関わる。
子どもは、ママに「よくできた」「良し」と評価されてるより、「ありがとう」「うれしい」と喜ばれることが、子どもの自信になり自己肯定感もグッとあがります。
さらに、役に立てたという貢献感や、自分の行動が誰かの笑顔に繋がったということは素直に嬉しいはずです。何より心が元気になるし、エネルギーがあがります。
「見守る」「任せる」を実践してるつもりが、子どもを見張る「評価目線」になっている自覚があるママは、自分の子どもへの目線を意識してみてください。
「家族の一員として見るママ目線」
子どもを見る自分も、ママに見られている子どもも優しい気持ちになれる目線です。
そして、今必要なのは、そのママ目線なのです。