セクシュアル・ライツを知っていますか?
日頃から性に関する書籍を読み漁っているわたしですが、とある書籍の中で“セクシュアル・ライツ”という言葉を目にしました。直訳すれば「性の権利」になりますが、具体的にどういったものなのでしょうか。
性的な行動はすべて自身で決めるもの
セクシュアル・ライツは、1999年に香港で開催されたAssociation for Sexual Health(性の健康世界学会)の総会で宣言、採択されたもので、すべての人は生まれながらにして性に関する自由、尊厳、平等を有することを提唱しているものです。
16の項目で構成されているセクシュアル・ライツ。性の健康を実現するために欠かせない要素として「包括的な性教育を受ける権利」も含まれています。
そして、わたしがとくに気になったのは16項目の3つ目に掲げられていた「自律性と身体保全に関する権利」でした。これは、他者の権利を尊重しつつ、性行動・性行為・性的パートナーや性的関係に関して選択する権利のこと。つまり、性的な行動はすべて自分自身で意思決定し行うものであるということです。
セックスの目的って……?
わたしは、ふと中学生の頃に受けた数少ない性教育のことを思い出しました。担任の男性教諭が、それはそれは恥ずかしそうに話し始めたことを記憶しています。多分、先生も性教育というものに慣れていなかったのでしょう。
「セックスは大切な人と、子どもを産みたいと思ったときにするもの。それまではしちゃいけない。」
概ねこういった内容が中心だったのですが、「それまではしちゃいけない」というメッセージが強く耳に残り、当時のわたしには、なんとなくセックスがネガティブなもののように聞こえてなりませんでした。同時に、次のような疑問も湧きます。
「あれ?セックスって子どもをつくる目的以外でしちゃいけないんだっけ……?」
セックスする理由は1つじゃない
確かに、先生が話してくれたことは間違っていません。セックスは大切な人とするものです。でも、子どもをつくるためだけにするものなのでしょうか。セックスはコミュニケーションの1つで、お互いの愛情を伝え合うためにするものでもあるとわたしは考えています。喧嘩の後、仲直りをするためにする!という友人もいますし。
セクシュアル・ライツが提唱しているように、性行動は自身で選択する権利があり(もちろん相手を尊重するのは大前提!)、決して他人が関与できる部分ではありません。「子どもを持てるようになるまでは性交渉をしてはいけない」などと、誰が言えるのでしょうか。
性教育は生きていくための必須科目
わたしが受けたこの性教育はもう20年ほど前のことになりますが、今もなおセックスというものに蓋をする日本の性教育を鑑みると、進展の無さを感じてなりません。日本が性教育後進国というのは概ね事実でしょう。
人権の尊重が当然とされるのであれば、性の権利もまた当然に尊重されるべきなのではないかと、わたしは考えています。子どもたちが成長する過程でどのような性行動、性行為、性パートナーを選択していくか……すべての子どもたちが有する性の権利ー性教育を受ける権利ーを通してそれらの自己決定能力を育んでいくのです。
子どもたちにとってセクシュアル・ライツを学ぶことは、国語や算数を学ぶよりももっと重要なことなのかもしれません。