お話を聞いたのは……加藤綾菜さん
1988年広島生まれ。2011年にザ・ドリフターズの加藤茶さんと結婚。高齢の夫を支えるため「生活習慣病予防アドバイザー」「介護食アドバイザー」「介護レクインストラクター」など多くの資格を取得。YouTube「加藤家の日常」やさまざまなメディア、イベントに出演中。
『加藤家の食卓 医師と栄養士の先生に長生きする食事の作り方を習いに行ってきたレシピ集』
著者:加藤綾菜
定価:1,496円(税込)
料理上手は母のおかげ
――お料理上手な綾菜さんですが、結婚前からお料理は得意でしたか?
私の母がすごく料理上手なんです。子どもの頃から、誕生日にはケーキを焼いてくれたり、手作りのおやつを作ってくれたりしました。母はシングルマザーの時期が長かったけど、働きながらも常にバランスのいい食事を用意してくれたんです。
中高と家から2時間かかる私立校に通っていたので、その6年間、4時起きで5時20分の電車に乗って学校に行くという生活をしていました。そんな中母は、毎朝バランスの取れた朝食とおいしいお弁当を用意して、私を送り出してくれました。
――6年間、毎朝その時間に朝ごはんとお弁当を用意するってすごいですね。
夕飯もバランス良くボリュームのあるものをいつも作ってくれたんです。そんな母のおかげで、私自身も料理の基礎的なことは小さい頃から身についていました。私、母の料理のおかげで中学時代のいじめを乗り越えることができたんですよ。
――いじめですか?
結構ひどいいじめに遭っていて、お弁当をぐちゃぐちゃにされたり、頭の上からカップラーメンの汁をかけられたり……。でも、私のために一生懸命働いて頑張ってくれている母にはどうしても言えなかったんです。そうしているうちに、ホームから突き落とされることがあり、いじめが学校に発覚して大問題になったんです。
お弁当と共に入っている手紙が心の支えだった
――それは、いじめの域を超えていますね……。そんな大変なことを乗り越えていらっしゃったんですね。いじめのことを知ったお母さまはどうされましたか?
「休んでもいいよ」と言ってくれたんですけど、私は1日だけ休んで、次の日から学校に行きました。いじめていた子たちに負けたくなかったんです。お昼時間にお弁当を開けたら、「勇気は出るものではなく出すものだからね。綾菜のことをいろいろ言う人がいるかもしれないけど、あなたは素晴らしい子だからね、自分を卑下しちゃいけないよ」という手紙が入っていたんです。
それから、お弁当と一緒に私を励ます手紙が1日も欠かさずに入っていました。お昼時間になって、その手紙を読みながらお弁当を食べている時間が一番ほっとしたし、それが学校に行くパワーになっていました。
――いじめはすぐになくなったのでしょうか。
いじめてくる子が、私のお弁当に入っていた赤ウインナーを毎日とっていくようになり、母にその話をしたんです。ある朝、母からお重みたいなものを渡されて、お昼休みにそのお重を開けたら赤ウインナーがぎっしり入っていたんです。私をいじめていた子たちは、それを見て引いていました。その日から赤ウインナーをとられることはなくなりました。
――お母さまの対応、素晴らしいですね。
母は私を19歳で産んでいるので、あの当時は32、3歳だったはずなんです。まだまだ若かったし、母もきっと必死だったはずです。
バッシングがあったらからこそ今の私になれた
――綾菜さんが加藤茶さんとご結婚されたばかりの頃は、いろいろなバッシングを受けられたと思います。それを乗り越えるパワーになったものはなんだったのでしょうか。
結婚した頃は、私もまだ20代前半だったので、全然大人になりきれていなかったと思います。結婚して半年間は新婚生活気分を味わえていたけど、世間に結婚がばれてからは本当にいろいろなことを言われました。心は追いつかないし、めちゃくちゃ苦しいという時期がありました。なんでこんなことになるんだろう……。幸せになると思ってたのに、全然幸せじゃないじゃんって。
でもそのとき、いじめられていたときに母からもらった手紙にあった、「希望がないなら、自分で希望を作り出して」という言葉を思い出したんです。今は希望は何もないけど、自分たちで希望を作り出していこうって思えたんです。
――自分で作り出す希望と言うのは具体的にどういうものですか?
周りにどう思われるかじゃなくて、自分はどう生きていきたいのかを考えました。それこそ、23歳から27歳までは、本当に自分の生き方についてずっと考えていたと思います。そしたら、ものすごく人生観が変わったんです。
――どんな風に変わったんですか?
ただ祝福されているだけで、加トちゃんの奥さんとして待遇の良い生活を送っていたら、社会に出て3カ月で嫁いだ私はきっとダメ人間になっていたよなぁと。バッシングを受けたことで、こういう風に考えられる自分になれたんだと思ったら、全て意味のあることなんだと感謝の気持ちが持てるようになったんです。自分の中で大きな変化を感じてから、だんだん周りの人達や環境も変わっていきました。
――周りの方も変化したんですね。
結婚から10年経った頃かな。それまでは、街で声を変えられるときってイヤなことを言われたり、コソコソ何か言われているようなことが多かったんですが、「綾菜ちゃん、応援してるよ!」って声をかけてくれた方がいて、すっごくうれしかったです。
ちーたん(加藤茶さんのこと)がよく「10年忍耐だよ」って言うんです。「1つのことを10年やり続けたら、絶対結果が出るから誠実に頑張れ」って言われてきたけど、結婚10年を過ぎて、やっとその言葉の意味がわかりました。
とても明るく元気な綾菜さん。テレビで見ている通り、気さくでいろいろなお話をたくさん語ってくださいました。中学時代のいじめを受けていたお話。それをお弁当とお手紙で支えたお母さまのお話。強く愛のあるお母さまに育てられたからこそ、加藤茶さんを深く愛する綾菜さんがいるのだと感じました。次回は、さらに加藤茶さんとの結婚生活、健康管理、食事管理についてのお話を聞いていきます。