子どもの成功は、親の成功じゃない
子どもの受験について親御さんたちと話をすると、子どもより親のほうが受験に夢中になっている姿を見かけることがあります。
子ども自身は志望校への思い入れがべつにないのに、親のほうがこの学校じゃなきゃダメと熱中していたり。
志望校に受からなかったことを、親のほうがいつまでもグズグズと根に持っていたり。あれがダメだった、こうすればよかった、といつまでも自己嫌悪に陥っていたり。
これでは子どもは前を向いて進んでいくことができません。
逆に喜ぶときも、子ども以上にハイテンションで喜び周り、本人の喜びを奪ってしまっている(本人が引いちゃってる)ケースも見かけます。受験に限らず、部活の試合なんかでもよくある光景。
そして「こんなに優秀な子育てができる私ってすごいでしょ!」って発信はSNSでは溢れています。
子育ては「育成ゲーム」じゃない
「わが子には優秀であって欲しい」とは、どんな親だって願うこと。
でも、子育ては「育成ゲーム」ではありません。
育成するプレイヤーのような視点でいつも接していたら、「私の育て方がよかったから、これだけの成果が上がったんだ」なんて勘違いしてしまいそうです。
子どもの人生の主人公は、当然子ども自身です。
子どもにとって親は、モブキャラのひとりでしかありません。もちろん影響は大きいし、子どもの人生の行く末を左右させるほどの力を持ってもいます。だからこそ、親が子どもの人生のプレイヤーになってはいけないと思うのです。
子どもが自分で人生を歩むためのサポートをすることと、子どもの人生をコントロールすることは全く違います。
夫婦でお互いを客観的に観察する
子どもを成功させたいがために、子どもの気持ちや考えを置いてけぼりにしたまま、過剰に何かを押し付けることが本当に子どものためになるのか。それは客観的に俯瞰して見つめてみる必要があります。その客観視のためにも、夫婦でお互いを観察し合うのが効果的。
意外と夫婦で熱量に違いがあったりするものです。子どもの受験にのめり込むパパを、ママは「そこまでしなくても」と思いながら見ていたり。このときに熱中している方は「なぜもっと子どもの将来を考えてあげないんだ!」と息巻きがちですが、そうなったときが危険な信号だと思うのです。
夫婦で対話をするときに、子どもを中心にして「子どものため」と話をすると議論は平行線をたどってしまいます。なぜなら、お互いがお互いのやり方で子どものためを考えているから。
ここで話し合うべきは、お互いの子どもへの関わり方です。
子育て四訓
ネイティブ・アメリカンの教えである「子育て四訓」が、まさに子どもへの関わり方の指針になるでしょう。
<子育て四訓>
- 乳児はしっかり肌を離すな
- 幼児は肌を離せ、手を離すな
- 少年は手を離せ、目を離すな
- 青年は目を離せ、心を離すな
短い教訓ですが、これほどに子どもとの距離感を適切に言い表す言葉もないと思います。
子どもが大きくなっても、手を離さずにあれこれ指示をしてしまっていないか。目を離せずに監視し続け、子どもを管理下においてしまっていないか。
子どもからしっかり離れていき、適切な距離を保てれば子どもの成功を自分の成功と勘違いすることもなくなります。
子どもの成功は、子ども自身のものである。親はそれを誇りにこそ思っても、自分の成果だなんて勘違いをしないようにしたいものです。