「代わりがいない」というプレッシャー
じつはこのモヤモヤ、ちょっと前まで僕が抱えていた思いでした。
わが家ではごはんを作るのは僕の担当です。在宅勤務なこともあり、仕事を早めに終えて買い物へ行き夕飯の支度をします。
ところが、この「夕飯作り」にくっついてくる役割があります。それは「子どもの帰宅の見守り」です。
子どもの帰宅時にたまたま買い物へ出てた、程度ならなんの問題もありませんが、「仕事で遅くなるから帰りが21時で、それからご飯作るので、勝手に留守番してて」というわけにもいかない。
なので、夜の予定は入れず、子どもの帰宅前後には必ず近くにいられるように調整することになります。
ここでモヤモヤするのです。
「ごはん作り」だけが担当であれば「朝、夕飯のしたくをして、夜は外出する」でもいいはず。でも「子どもがひとりになることの責任」もなぜか負うことになるので、そうした選択は簡単にはしにくい。
いっぽうで、妻は残業が終わるまで働いて帰ってくる自由がある。残業することでの、家庭への責任感はとくに発生しません。
それじゃ、妻に早く帰ってきてもらったら何かやってもらいたいことがあるか? と言えばとくにない。
やることがないなら、べつに残業していたっていいじゃないか、というのも理屈としては納得できる。
だからモヤモヤなんです。
でもこれは「代わりがいない」ということへのプレッシャーなんです。
チーム家事には欠かせないバディの存在
ワンオペで大変なのは、家事育児タスクの負担だけではありません。
家から出られない、自由に時間を使えないという軟禁感も辛いのです。
それこそ上記のような状態だと「妻は自由に残業するのに、なぜ自分は『許可制』なのか」ということになります。
僕が残業したり、夜出かけたりするためには、妻に残業があるかどうかを確認しなくてはなりません。そして、何もなければ僕も無事に仕事や外出ができる。これは本来、お互いが「許可制」であるべきなのです。
「早く帰ってきてもらってもやってほしいことがあるわけじゃないし……」
「早く起きてもらっても、何かしてほしいわけじゃないし……」
など。いまその瞬間だけを見れば、とくに用事があるわけじゃない。それなのに、遅く帰ってくることや遅くまで寝ていることにモヤモヤする。
それは責任が全部自分にかかってくるというプレッシャーを無意識に感じているからです。
たとえば、突然兄弟喧嘩が発生したとき。「明日、筆がいるから買ってきて」と言われたとき。急遽対応したい仕事が入ってきたとき。
こうした不測の事態が起こったときの対処も全部自分がやらなくてはなりません。
やってもらいたいことができたときだって、そこに相手がいなければ、お願いすることもできない。
つまり「その場にいない」というのは、あらゆる助けを求める可能性を0にしているということでもあります。
一つひとつの頻度は低いし、大したことじゃないかもしれない。べつにワンオペでだって対処できないわけじゃない。
でも、それは「できる」「できない」の問題じゃないんです。
「全責任を追わざるを得ないこと」「代替要員がどこにもいないこと」が問題なのです。
モヤモヤは、ちゃんと話し合おう
モヤモヤしていることを、その場で言語化して伝えるのはなかなか難しいかもしれません。
なにせ、言葉にならないからこそ、論理的な説明がしにくいからこそ「モヤモヤ」なんです。
ですが、その気持ちは紛れもなく感じている事実。
うまく話せなくても、それでも不公平感を感じていることは伝えたほうがいいでしょう。
そうしなければ、いつまでもそのモヤモヤを解消することはできません。