「わたし将来は、美味しいケーキをつくって、百人一首のクイーンになって、それで英語も話す!」
この前、7歳になる娘が、突然高らかに宣言しました。
「君はこれから、がんばれば何だって好きなことができるようになるよ」
ちょっと達観したように答えましたが、その言葉がなんだかチクリと自分に刺さりました。
40代になったぼく達の、将来の展望はもう決まっているのでしょうか?
たしかに、いまからプロ野球選手になることも、アナウンサーになることもないでしょう。
いまからだって可能性は無限に広がってる、と言うかもしれないけど。
自分のこれまでの人生を振り返ってみれば、その可能性の範囲だってある程度は予測がつく。
きっとそれが40代ということで、それがこの年代が生き苦しさを感じる要因のひとつかもしれません。
だけど、ほんの少し視点を変えてみるだけでまだまだ新しい自分と出会うことはできる。
何でもかんでも「やりたいんだ!」と宣言する娘の姿を見ながら、人生を楽しむとはどういうことかを学んだ気がします。
無趣味という悩みからの解放
ずっと「無趣味」というのが悩みでした。
何かに夢中になってハマってる人を見ると、羨ましさとちょっとした引け目を感じてしまう。
自分には仕事を放り出してでもやりたいようなことがない。休日を全部使ってでも楽しみたいこともない。
趣味がある人にしてみたら「そんなことが?」と思うかもしれませんが、これが長年のコンプレックスだったのです。
子どもの頃からモノづくりが好きな人。スポーツ、音楽が好きな人。アニメやアイドル、お笑い、映画。趣味になり得ることなんて世の中にはいくらでもあるのに。
ところが、子どもはどんどん色んなことにハマっていきます。ハマっては飽きて、ハマっては飽きて。
それは子どもの世界を広げる大切なプロセスに見えました。だから子どもにこう言います。
「新しいことを、どんどんやってみなよ」って。
あれ。これって自分にも全く同じことが言えるんじゃないだろうか。
「ひとつのことにハマり続けて極めなくちゃいけないなんて、なんてつまらない思い込みだったんだろう」
ぼくはこれまで、色々手を出しては辞めてを繰り返すことに嫌気がさして、「長くハマり続けられる趣味」を探そうとしていたのでした。
40代からのオタクのススメ
無趣味な人は、趣味を探す時に何か「意味・意義」を見出そうとしてしまうと思います。
教養につながる趣味、学びになる趣味、人に語れる趣味。
でも、ぼくたちはこれまで充分に「目的主義」で生きてきました。
希望の学校に入るために受験をがんばり、就職するために就活をした。キャリアアップのために仕事をがんばったし、子育てのために自分の時間を後回しにしてきました。
これからは、「何かのために」使わない時間がもっとあってもいいんじゃないかと思うのです。
子どもがけん玉にハマっていたとき。
「何でけん玉にハマったの?」と聞いたら「楽しいから!」と真っ直ぐな答えが返ってきました。
ずっとやり続けて、ある程度できるようになったとき初めて「この技をできるようになったら、けん玉検定受けようかな」と言い出した。
最初から「検定合格」があったわけじゃないのです。
やっていた先にたまたま「検定」があっただけ。
本人はとにかくやっているその時間が、楽しい。
これこそが、趣味の本当の価値なんだろうなと思うのです。
40代。
たしかに、昔ほど目の前の道が無限に拓けてはいないかもしれない。
でも、これまでガムシャラに目的思考で走り続けてきた生き方から、「楽しければいい、そんな時間も大事」と思えるようになると、やりたいことにまだまだチャレンジできる年齢でもある。
それだけの余裕も、体力もある。経験も、人脈も、知識もある。
それが40代という年代なのでしょう。
人生折り返してお先真っ暗じゃつまらない。
これからこそが、本当に自由に楽しく生きられるんじゃないか。
だからこそ、意義や意味なんかにとらわれず。
どんどん興味あることをつまみ食いしながら、オタクになっていけばいい。
40代を、楽しみましょう!