失敗がない人生
わが家の教育方針、というほどじゃないですがスタンスとして「失敗=挑戦」というのがあるんです。
これは娘が産まれた当初からずっと変わらずで、立ち上がろうとして転べば「ナイスファイト!」と声をかけるし、くじけたときには「やってみたからこそ、学べたことがたくさんある」と話をします。
習い事もそうです。
長く続けてくれたら、しっかりと学べるのでとてもいいことですが。途中で辞めても良しとしています。テニスをやりたい!と言って、数ヶ月でやめてしまったこともあります。百人一首にハマっていたけど、いつの間にか見向きもしなくなりました。けん玉も飽きたし、カメラも飽きた。
でも、これらは辞めた数じゃなくて、挑戦した数。だから、やめたことで娘を責めることはないし、新しくまたやりたいと言い出した時に「どうせ続かないんでしょ」なんてことは言いません。
そんなこんなで、子どもにはどんどん新しいことを挑戦させるのですが。
「親であるぼくは、最近なにか失敗するのが怖くなるような挑戦ってしたかな?」とふと考えてしまった。
楽しそうに色んなことにチャレンジする娘を見ていて、(自分たちがそう仕向けたくせに)なんだか羨ましくなってしまったのです(笑)
失敗をしなくちゃいけない歳になってきた
歳を重ねると、だんだん失敗をしなくなります。用心深くもなるし、無謀な挑戦をする必要もないし、効率の良い結果の出し方だってある程度わかってくる。
だけど、失敗をしなくなると自分の世界がどんどん狭くなっていく気がするんです。
子どもを見ていると、失敗を重ねる度に世界が広がっていくのがよくわかる。途中でやめてしまったテニスだけど「テニス知ってるよ!」「やったことあるよ!」と言えるようになる。
他のこともそうで、「知ってる・経験してる」という小さな火種は、どこかで思わぬ何かとつながることがあります。
大人になって、自分の知っている世界だけにとどまっていれば安全に失敗なんかしないで生きていける。
失敗なんて誰だってしたくないんだから、せっかく手に入れた失敗しない世界に留まっていたい。
でも、だからこそ。「よいしょ」と重たい腰を上げて、失敗しそうなほどの挑戦をわざわざ自分から探さなくちゃならない。子どもとの大きな違いは、誰も失敗のお膳立てもしてくれないし、失敗の責任も取ってはくれないこと。
その代わり。自分の意志でいくらでも挑戦できるし、責任を取る力だって養えている。
子どもは自由なようで、まだ大人の助けがなければ自由にならないことが多い。そこは大人の有利な部分です。
失敗する姿を親子で見せ合う
最近、娘が英語に興味を持ち始めました。
ぼくもそこに便乗して、一緒にオンライン英会話をはじめたのです。
学生以来、全く触れてこなかった英語。自分でも驚くほど基礎から忘れてしまっていました。
娘のとなりで、何も答えられなくて慌てる姿。
大人としてはどうにもカッコ悪い姿ですが、親が失敗する姿を見せてあげるのはいい機会です。
「パパ、全然しゃべれないじゃん!」
なんて笑っている娘を見ていると「今に見てろよ!」と駆り立てられる。
マジで、大人の本気を見せてやろうじゃないかって(笑)
「子どもには色んな可能性がある」そう思うし、言うけれど。
大人になることが、可能性を少しずつ減らして行くことだなんて思ってほしくはない。
「大人になるってことは、自分の力で世界を広げていけるようになるってことなんだよ」
そういう姿を、子どもには見てもらいたいと思うのです。