お弁当が全然食べられなかった、娘の幼稚園時代
「みてみて! きょうもピッカピカにたべたよ!」
幼稚園にお迎えへ行くと、娘はいつも空っぽになったお弁当箱を見せてくれる。
「すごいね! ピッカピカに食べてくれて、パパも嬉しいよ」
そう言うと、娘は空っぽのお弁当箱を大きく掲げながら「やったー!」と走り回った。
食べるのがあまり得意じゃない娘。彼女にとってごはん粒ひとつも残っていないキレイなお弁当箱は、がんばりの象徴だった。
だけど、いつも機嫌よく完食できるわけではない。
むしろ、好き嫌いも多く、少食で、スピードもゆっくりな娘は、なかなか食べきることができずにガッカリしてしまうことのほうが多いくらいだった。
ある日、いつものように空っぽのお弁当箱を見せてくれた娘は「やったー!」と大はしゃぎしなかった。
ちゃんと全部食べられているのに、なんで元気がないの? うつむく娘に聞いてみる。
「きょうは、さいごまで、たべおわらなかった」
「食べ終わったのが、一番最後だったってこと?」
娘は、くやしそうにうなずく。
「べつに、競争じゃないんだから、ゆっくり食べたらいいんじゃない?」
お弁当の時間は、早食い競争ではないのだ。急いで食べる必要もないし、誰かより早く食べられる必要もない。
だけど、そんなやり取りが何度か続いたとき、娘は早く食べたい本当の理由を教えてくれた。
「はやくたべないと、みんなとあそべないから」
お昼ごはんの時間。早く食べ終わった子はそのまま昼休みになる。
だから教室や園庭で思い思いに遊び始めるらしかった。娘は、「お昼ごはんの時間」だけじゃなく「お昼休みの時間」もフルに使ってお弁当を食べていたのだ。
お弁当を残せない理由
「今日もありがとうございました」
嬉しそうに駆け寄ってくる娘の頭をなでながら、先生に挨拶をする。
「あ、そう言えば。今日お弁当のほうれん草が食べられなくて残しちゃったんだよね」
先生が娘とぼくを交互に見ながら言った。
「たべれなかった」
まるで悪いことでもしたかのように、娘がしょんぼりした。
「そっか。べつに残したっていいんだよ」
「うん」
適当にうなずくと、娘は帰りの荷物を取りに奥へと走っていった。
「お父さん、娘さんお弁当残したくないんですって」
「え、そんなこと言ってました?」
すると先生は、こっそりと秘密を打ち明けるように教えてくれた。
「『パパが一生懸命つくってくれたお弁当だから、ピカピカに食べるんだ』って泣きながらがんばってました」
言葉にならなかった。
早く食べ終えてみんなと一緒に遊びたい。
でも、パパが作ってくれたお弁当は最後まで残したくない。
その2つを叶えるのは、食べるのが得意じゃない娘にとってはとても大変なことだったのだ。
娘は身体が小さめだった。とくに心配するほどではなかったけど、親としてはいっぱい食べて欲しいと思っていた。
だけど、無理して食べるのを嫌いになって欲しくはない。だから、無理に食べさせることはしていないし、食べられなかったら残したって別にいいよって、いつも言っていた。
でも、娘は残したくないと言う。早く食べられるようになりたいと言う。
ぼくは、どうしてあげたらいいのだろう。
一緒に娘の夢を叶えるために
それから少しして、近所の親子と一緒にご飯を食べて遊ぶことがあった。
先に食べ終わった子どもたちは、早々に遊び始めた。そこではじめて、娘がくやしそうに食べ終わらないお皿に向き合っている姿を目にした。
「『いっぱい食べて欲しい』じゃなくて、この子が早く完食できるように、協力してあげなくちゃだめじゃないか」
その姿を目にしたぼくは、ようやくそのことに気がついた。
「はやくたべられるようになりたい!」
娘のその夢が叶うように、ぼくは考えた。
「お弁当箱を、小さくしようか」
そして、一緒にお弁当箱を買いに出かけた。
娘が選んだのは小さな丸いタッパー。
これまでより、一回り分くらい小さい。
この「小さなお弁当箱」なら、娘は早く完食できるだろう。
いっぱい食べて欲しい、とも思っていたけど、それよりも今は娘の夢を叶えてあげることのほうが大事な気がした。
この子のがんばりを応援してあげる
小学生になった娘は、いまではいっぱい食べるようになりました。
でもまだ偏食は自分の中で課題みたいで、夏休みの自由研究では「どうすればトマトを食べられるか」について研究しています。
子どもは自分で誰かと自分を比較して、あこがれを抱いたり、がんばったりすることがある。
親が勝手に比較して良いだの悪いだの言う必要はないかもしれません。
でも、子どもが自分で見定めた目標は応援してあげたいなと思うのです。